奥穂高岳 |
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所在地 | 岐阜県上宝村、長野県安曇村 | |
白出沢登山口 | アプローチ | 神岡町から車で40分の新穂高温泉から |
登山口標高 | 1100m | |
標 高 | 3190m | |
標高差 | 単純2090m | |
沿面距離 | 片道約10Km | |
登山日 | 2003年10月9日 | |
天 候 | 晴れ、後曇り、後吹雪、後曇り | |
同行者 | 単独 | |
参考コースタイム 山と高原地図(旺文社) | 新穂高温泉(2時間)白出小屋(7時間)穂高岳山荘(50分)奥穂高岳頂上(30分)穂高岳山荘(5時間30分)白出小屋(1時間30分)新穂高温泉 合計17時間20分 | |
コースタイム | 新穂高温泉(1時間20分)白出小屋(3時間15分)穂高岳山荘<休憩17分>(29分)奥穂高岳頂上(24分)穂高岳山荘<休憩36分>(2時間54分)白出小屋(1時間19分)新穂高温泉 合計10時間30分<休憩53分含む> |
![]() クリヤノ頭に朝日があたる |
奥穂高岳に行こうと思ったのは一通のメールからだった。北ノ俣岳で一緒になった神岡の方が、その友達と毎年奥穂高岳に登っているという内容だった。奥穂と言えば上高地しか思い浮かばないが、ルートを尋ねると新穂高温泉から登ったという事だった。確かに神岡からは近い。と言うことは八尾からも近い。彼女たちは一泊だったようだが、日帰り出来ない距離でもない。雪が降る前に登ってみたいと思った。 その日は立山清掃美化大会の日で、美女平まで行く予定だった。美女平まで行っても何もないので奥穂高岳に行き先を変更する。行き先があまりにも違うので休暇届も出す。4時30分、満天の星の中、新穂高温泉へ向かう。 |
新穂高温泉の手前で夜が明け始める。家を出るときは星空だったのだが、ガスが所々山を覆っていて、一抹の不安を感じさせる。深山荘の駐車場に車を停めたときはすでに明るくなっていた。急いで身支度を終え、6時ちょうどに新穂高温泉へと向かう。距離にして700m、標高差60m程である。6時10分、ロープウエイ乗り場(1105m)を通過。夏は人でいっぱいだったのに、閑散としている。有料駐車場横の林道入口には鎖が張ってあった。林道をしばらく歩いた小鍋谷の橋の手前にも通行止めの柵があった。振り返ると山の頂上付近に朝日が当たっている。クリヤノ頭だろうか? | ![]() 右俣林道小鍋谷の橋の手前の通行止 |
2Km程歩いたところで、いったん折り返すと穂高平(1345m)に出る。そこには穂高平避難小屋がある。小屋には誰もいなかった。目の端に黒い動くものを感じて驚いたが熊ではなかった。牧場になっていて黒い牛が沢山いたのだった。霜が降りて真っ白になった草を食べていた。さらに2Km程歩いたところに白出小屋(1540m)がある。この小屋は入口に板が張られて完全に冬支度になっていた。ここからが本格的な登山道である。7時30分、登山道に取り付く。道には大きな丸い石が沢山埋まっていて、以前は白出沢の川の底だった事がうかがえる。岩の上の落ち葉が滑って歩きにくい。 |
![]() 穂高平避難小屋 |
![]() 白出小屋 |
振り返ればコメツガの樹林帯の合間に笠ヶ岳が美しい。奥穂高岳から見る穂高連峰、槍ヶ岳、そして表銀座の山並みを思い浮かべると自然とピッチが上がる。![]() |
![]() 白出沢から見上げる笠ヶ岳 |
![]() 白出沢にかかる重太郎橋 幅36cm、長さ5m |
![]() 重太郎の岩切道 右岸の岩壁に幅50cm程の 道が続く |
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![]() 奥穂高岳へハシゴ場 |
![]() 奥穂高岳へのクサリ場 |
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今田重太郎氏が積んだという3mのケルンの標高は3193mで3192mの北岳を抜いて日本第2位になる。だが人工物では正式な山の標高とはならないようで、日本第3位の山にあまんじている。西穂高岳、前穂高岳の標識に樹氷が張り付き、奥穂の頂上はすでに真冬だった。来年はこの先の前穂高岳、西穂高岳に行くことを誓い、引き返す。11時55分、小屋に戻る。寒さでビールも飲む気がせず、熱燗にする。メニューにあるラーメンも注文する。ほっとするひとときだった。 |
![]() 入って正面の売店 |
![]() 入って右側のロビー(太陽のロビー) |
![]() 右側から売店方向 その左が食堂 |
![]() 玄関から右側ロビー方向 |
大正13年に建てられたという穂高岳山荘は落ち着いた山小屋だった。すでに小屋終いの準備に入っていて屋内にドラム缶を並べたり、雪の重さに耐えるための予備の柱をいくつか梁に立てていた。食堂のテーブルもどこかへ運んでいた。 |
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