剱 岳 |
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所在地 | 上市町、立山町、宇奈月町 | |
室堂 | アプローチ | 立山駅よりケーブル、バスで約1時間10分 |
登山口標高 | 2425m | |
標 高 | 2998m | |
標高差 | 累積往路1100m 累積帰路530m | |
沿面距離 | 7300m 往復14600m | |
登山日 | 2003年5月10日 | |
天 候 | 晴 | |
同行者 | 単独 | |
参考コースタイム とやま山歩き(シーエーピー) | 室堂(2時間)別山乗越(4時間)剱岳(5時間)室堂 | |
コースタイム | 室堂(30分)雷鳥平(60分)別山乗越(2時間50分)剱岳(3時間4分)別山乗越(48分)室堂 |
先週は「山歩記」とは言えないような軟弱なページになってしまった。今週は名誉挽回のため剱岳の日帰りを計画。日帰りのためにはなるべく早く出発したい。立山駅6時40分の始発ケーブルに乗れば、室堂に8時前には着くだろう。それでも帰りの最終バスは室堂17時だから往復9時間で帰って来なければならない。 ストック、ピッケル、アイゼンの他、時間短縮のためファンスキーを持ち込む。これは、重さ1Kg、長さ90cmしかなく持ち運びに便利だ。行きの剱沢、帰りの雷鳥沢で威力を発揮するだろう。かんじきで走るよりは速いはずだ。 |
![]() 雪の大谷、10m程しかなかった |
![]() 雷鳥沢の登りの途中で見た大日岳 |
スピードを上げるため、荷物はなるべく軽くしたかった。だが剱岳に登るというプレッシャーなのか荷物は減らなかった。 ツェルト、ヘッドランプ、ストーブ、雨具、リュックカバー、セーター、医薬品セット、非常食などを詰め込む。これにスキー、ピッケル、アイゼンを加えると10Kg近くになり、結局いつもと変わらない重さになってしまった。 |
![]() 別山乗越からの剱岳 下に見える剱山荘は営業していなかった |
![]() いっぷく剱への登り |
家を五時過ぎに出て、予定通り6時40分の始発ケーブルに乗る。室堂には8時前に着いたが荷物を積んだトラックが遅れ、8時10分の室堂出発となる。 みくりが池温泉まで歩き、スキーを履く。リンドウ池まで滑り、雷鳥荘まで歩き雷鳥平まで滑る。スキーを履いたり脱いだりで、靴で滑った方が早かったかもしれない。 8時40分、スキーをリュックに縛り、坪足で別山乗越に向かう。足跡がありアイゼンは必要なかった。一気に別山乗越へ。クレパスがいくつかあるので帰りのスキーでは気をつけないといけない。 9時40分別山乗越へ到着。ほぼ1時間の登りだった。 |
![]() 雷鳥のメス |
![]() 鎖が雪の下で使えないところもあった |
スキーで黒百合のコルに向かおうとしたとき下から上がってくる人がいた。剱沢山荘の人のようなので、剱岳へ誰か入っているか聞く。「長治郎から2人入っている」との事。 北尾根ルートから登るような人達はどこかの山岳部か山岳会の人達だ。普通の人は入っていないのだろうか。危なくないか聞いてみると「気温が上がるとブロックと言って雪のかたまりや岩が落ちてくることがあるが、それさえ気をつければ大丈夫だ」との事。 岩が落ちてきてから、どうやって気をつけるのだ、と思ったが聞けなかった。 |
![]() いっぷく剱 |
![]() 最も緊張した前剱からの下りの雪渓 ほとんど垂直に近かった |
剱御前山の裾をスキーでトラバースしてクロユリのコルまで滑る。10時4分、クロユリのコルに着く。スキーを脱いで雪面に立てたが墓標のように見えて気分が悪い。すぐ蹴倒した。 尾根道は半分以上雪に埋もれている。10時32分、いっぷく剱の上で1人の登山者と鉢合わせし、お互いにびっくりする。剱御前小屋に泊まり、朝4時に出発して、剱岳に行ってきたそうだ。 「剱岳は登山届けが義務づけられているので出したら単独登山は禁止だと言われて許してくれなかった。それで内緒で行ってきた」というような事を言っていた。 登山届けを出さなくてよかった。(こんな事を書いていいのだろうか?) |
![]() 避難小屋の跡とトイレ |
![]() 避難トイレ |
雷鳥を何羽も見かける。まず、オスが出てきてその後メスが出てくるようだ。帰りにハイマツ帯の横を滑ったときにオスとメスが同時に飛び出した。驚かせてしまったようだがこちらも驚いた。 いっぷく剱を降り、前剱を登る。流石に剱岳、道らしい道はない。鎖も雪の下になっていて使えない所がある。 前剱の最後の下りが雪の壁になっていて、足跡があるがほとんど垂直に見えた。アイゼンを履き、ストックをピッケルに変える。鍬崎山の時のようにナイフエッジにはなっていないので前向きで降りる。 ピッケルを右脇の辺りに突き刺し、踵でステップを刻みながら降りる。20m程だったが、ここが一番怖かった。下手をすると平蔵谷へ落ちていく。 |
![]() くさり場 |
![]() くさり場 |
下りきったところから、ガレ場を30m程登り、岩場となる。昔の避難小屋の跡があり、その横にトイレがあった。かなり汚い。 このコースは雉を撃つところも、花を摘むところもないので、これも避難小屋と言えそうだ。ここからの登りはくさり場の連続だが、基本的にくさりは必要ないように思える。 くさりに頼るとかえってバランスを崩し、体が不安定になる。カニの横ばいも強風でも吹かない限りくさりは必要ない。ハシゴはありがたかった。アイゼンを履いたまま歩いていたので歩きにくかった。ピッケルもじゃまだった。 |
![]() ハシゴ |
![]() くさり場 |
なだらかな斜面に出た所に頂上への標識があった。ここから頂上までは雪がついていた。 12時33分、頂上に立つ。頂上の祠の周りの雪は溶けていてた。360度の展望は残念ながら春霞でよく見えなかった。 今朝の室堂の気温は氷点下3度だったそうだが、ここも風が強く寒い。セーターを着てビールで乾杯。菓子パンを2個ビールで流し込んで、13時、頂上出発。 ストックもピッケルもアイゼンも全てリュックに縛り付けて両手が使えるようにする。バテテいるのかビールが効いたのか、体が思うように動いてくれない。終バスが17時なので室堂まで4時間しかない。 歩きながら、黒百合のコルで15時、別山乗越で16時、室堂17時、なんとか間に合うだろうと安易な計算をする。 |
![]() カニの横ばい |
![]() 東大谷の中俣 |
前剱の雪渓の登りでアイゼンを履き、ピッケルを使い、登ったところで又アイゼンを脱ぐ。そんな事で余計な時間を費やす。 所々で雪渓を滑り降りるが、怖いのでハイマツのすぐ横を滑る。雷鳥を驚かせたのはこの時だった。 重い足を引きづって黒百合のコルに着いたのは14時48分だった。予定より10分ほど早かった。ところがスキーを縛って歩き初めて、アイゼンが必要な事に気づき、又リュックをおろしたりして、結局15時出発となってしまう。剱沢にはスキーヤーが10名ほどいた。 標高を落とすのがいやなので、剱御前の西斜面をトラバースする。ほぼ、今朝のスキー跡をトレースするような格好だ。ここを滑り落ちたら、まず17時のバスには間に合わない。アイゼンを履いていてよかったと思った。 |
![]() 頂上近くの標識 |
![]() 頂上の祠 |
剱御前の斜面の写真を撮ったのが最後だった。その後は時間に追われて写真どころではなかった。別山乗越は意外に遠く、着いたのが16時4分だった。 トイレの裏を通り雪渓のあるところまで3分。スキーをおろし、履いて、リュックを担いだら、アイゼンを縛っていなくて片方が落ちる。又リュックをおろして縛り直す。 滑り出せたのが16時10分。クレパスを回避しながら滑り降りる。室堂から見ていた感じでは急斜面に見えたが、実際は滑りやすい快適な斜面だった。登山靴とショートスキーの組み合わせも慣れたせいか、気にならなくなっていた。 かなり下まで滑ってから、テント場へ直接降りられないかと左側、雄山の方へトラバースする。しかし手前に谷があり何処へ廻ってもだめなようなので元のコースに戻る。そんな事でも2分ほど無駄にする。 |
![]() 頂上から見た北方稜線 |
![]() 頂上から見た毛勝三山 |
谷まで降りて16時20分。テント場を突き抜け、地獄谷へまわろうとするが進入禁止になっていた。 16時28分、雷鳥沢ヒュッテに寄ってスキーを預かってもらう。悪いと思いながら地獄谷にむかう。地獄谷からみくりが池への登り口で16時33分。 階段を上り始めたが20m程登ったところで雪の壁にぶつかった。道が雪で埋もれている。少し戻って雪の上に出る。ザラメの雪は滑るし、アイゼンを履いている時間もない。 この時点で終バスはあきらめた。が、あきらめたはずなのに足がかってに動く。頭ではあきらめたと思っているのだが体は最後まであきらめていないようだった。 みくりが池に出た所で16時49分。間に合うかもしれないと思った。ほとんど無酸素運動のように走る。室堂ターミナルの屋上に着いたのが16時57分。高原バスの改札口に着いたのが16時58分だった。 |
![]() 頂上から見た早月尾根 |
![]() 頂上から見た雄山、別山 下に小さく見えるのが剱沢小屋 |
とにかく日帰り出来たのは運がよかったからだ。反省点は、室堂出発が遅れたのに頂上でゆっくりしすぎた事、ビールのロング缶を飲んだ事、10Kg近い荷物を背負った事、時間の計算がいいかげんだった事などいくらでもある。 経験不足をさらけ出した山登りとなってしまった。次回への戒めとしよう。 |
![]() 剱御前山の斜面から見た剱沢 遠くに鹿島槍、五龍岳が見える |
![]() 剱沢から見あげた剱御前山 これがこの日の最後の写真になってしまった |
バスに乗ろうとしたとき、「せっかく来たのだから泊まって行かれよ」と言われたのには返す言葉がなかった 富山県登山条令を知らなかったので、結果的に剱岳を独り占めするという最高に贅沢な山行となった。知ってしまった以上、来年からはもう出来ない。 |