槍ヶ岳



槍の穂先への途中で(2003年11月8日撮影)

所在地岐阜県上宝村、長野県安曇村
新穂高温泉 アプローチ神岡町から車で40分の新穂高温泉から
登山口標高1100m
標   高3180m
標高差単純2080m
沿面距離往復約25Km
登山日2003年11月8日
天 候曇り
同行者単独
参考コースタイム
 山と高原地図(旺文社)
新穂高温泉(2時間)白出小屋(1時間30分)滝谷出合(1時間)槍平(2時間30分)千丈沢分岐点(2時間30分)槍岳山荘(30分)槍ヶ岳頂上(30分)槍岳山荘(1時間20分)千丈沢分岐点(1時間30分)槍平(1時間)滝谷出合(1時間)白出小屋(1時間30分)新穂高温泉  合計16時間50分
コースタイム新穂高温泉(1時間14分)白出小屋(52分)滝谷出合(41分)槍平(1時間19分)千丈沢分岐点<休憩15分>(1時間34分)槍岳山荘(23分)槍ヶ岳頂上(22分)槍岳山荘<休憩15分>(47分)千丈沢分岐点(1時間1分)槍平(38分)滝谷出合(1時間)白出小屋(1時間7分)新穂高温泉  合計9時間58分<休憩30分含む>




5時50分、今年はもう来ないだろうと思っていた新穂高温泉の駐車場に立っていた。 槍ヶ岳に登りたいと思う気持ちが抑えがたくなり、急に決めた山行きだった。天候はよくないようだが、雪さえ付いていなければなんとかなると思い、4時に家を出てきた。来週の槍ヶ岳はどうなっているか分からない。山は逃げると言う。
 夏と違い、日が短くなっているので時間との勝負でもあり、今回はロープウエイ近くの有料駐車場に車を停める。正しい日帰りは明るくなってから出発して暗くなる前に帰るというモットーのためには、夕方5時頃までには帰って来なければいけない。夜が明け始めた6時0分、身支度を終え新穂高温泉(1100m)から林道に取り付く。

 10月16日に奥穂高岳へ行ったときに歩いた道なので問題はない。距離感を確かめるだけだ。その時は紅葉がきれいだったが、ほとんど落葉していて冬近しを思わせる。穂高平の牛も、もういなかった。穂高平避難小屋の公衆電話はまだ置かれていたが、通年で使えるのだろうか?   7時14分、白出沢出合(1535m)に到着。そこには自転車が置いてあった。穂高岳の方へ向かっているようだ。今回は自転車を持ち込もうかとも思ったが、やはり自分の足で歩くべきだろうと、持ってこなかった。

 白出沢を渡る。沢の手前に増水時は気をつけるように書いてあったが今はただの広い涸れ沢でしかなかった。沢を渡ったところに看板があり「槍平経て槍、穂高」とある。ここからは蒲田川右俣谷の左岸を走る登山道となる。大きな石が露出した歩きにくい道だ。8時6分、滝谷出合(1765m)にでる。井上靖氏の「氷壁」を思い出す。主人公の魚津恭太が滝谷を越えて女に会いに行くというシチュエーションがどうも気に入らなかった小説である。
 滝谷が唯一水のある沢だった。4寸角を3本束ねて作った橋を渡り、対岸に出ると藤木久三市のレリーフがある。無造作に岩肌に貼り付けてあった。滝谷の初登攀者である。

 
 
上:滝谷に架かる橋
左:奥に見えるのが雄滝
  その上が北穂高岳
右:藤木久三氏のレリ
  ーフ


 滝谷からの道も相変わらずだらだらと続き標高を稼げない。この季節、熊が出そうで恐かった。やがてきれいな沢に出た。広い地形から槍平(1990m)だと分かる。8時47分だった。小屋は当然閉鎖されている。3棟あり、大きな山小屋である。一番古い建物の2階が冬季の避難小屋になっているようで。白いペンキで冬季入口と描かれていた。1階は使わないようにとも書いてあった


 槍平からは斜度もきつくなり、ようやく標高を稼げるようになる。 蒲田川は涸沢となり、急に風の音が気になり出す。ゴーっという音が山の上から降りてきて、何事かと思っていると突然、突風が下の方へと吹き下ろしていった。「羅刹女(牛魔王の妻)が芭蕉扇を扇いだのか?」などと妙な事を考えながら怖さを紛らす。山がうなっているようで不気味だ。単独行の寂しさを感じる。
 「最後の水場」とかかれた木札があり、横のビニールホースから水が出ている。水分はほとんど摂っていないので補充せずに登る。木曜日に風邪をひいて熱を出し、解熱剤として多量のバッファリンを飲んだ。そして金曜日はお腹をこわし、トイレに通いっぱなしだった。そのせいかこの辺りからスタミナが切れて、ペースが落ちてくる。

 10時6分、ようやく千丈沢乗越分岐点(2550m)にたどり着く。初めての休憩を取り、水分補給をしながらパンとおにぎりを食べる。が、全く味が分からない。15分の休憩後、飛騨乗越を目指す。ここからが一番辛かった。一歩毎に立ち止まりたい誘惑にかられ、立ち止まると座りたい誘惑に襲われる。我慢の登りだった。登山道の所々に雪が残っている。2800m辺りからガスがかかり風が強くなる。飛騨乗越に出た頃には台風並みの風だった。霧雨状なので乗越の岩の裏で雨具を着る。先日買ったゴアテックスの着おろしである。風に飛ばされないように気をつけていたのに飛ばされそうになって慌てた。

 乗越の標識には氷が着いていた。左にコースをとり、槍ヶ岳を目指す。テント場を抜けるとすぐに槍岳山荘(3060m)だった。強風とガスの中で見る無人の山小屋は想像以上に気持ちが悪い。もし、誰かが出てきたら何と挨拶したらいいのだろう、などと変な事を考える。それよりも中から声だけが聞こえて来たらもっと恐い。
そんな妄想を振り切って登山に集中する。頂上は無理か? 登山道は風下側だから大丈夫かもしれない。 ここで落ちたら格好悪い。などと色々な考えが頭をよぎる。挑戦もせずに引き返すのは最低だ。とりあえず行けるところまで行って見る、と心に決めた。荷物を小屋の陰にデポして穂先に取り付く。



 小屋の陰からコルに出たとたんに風に飛ばされそうになる。雨具などで着ぶくれしているから、なおさらだ。穂先へはいきなりクサリとハシゴだった。だが、思った通り風下になっていて風は強くない。50mも登っただろうか。上山道は岩稜に出てしまい、風がまともに当たり、岩も凍っている。これ以上進むのは危険だと思い頂上をあきらめる。少し下ったところで下山道を見ると岩陰になっている。気を取り直してこちらから再挑戦することにした。クサリやハシゴは凍っていたがそれほど危険だとは思わなかった。怖かったのは気紛れに所々凍っていた岩だった。


岩は凍っているところもあり、確かめながら慎重
に登る

上山道は岩稜に出てしまい強風と氷で引返す
下山道は岩陰だったので気を取り直し再挑戦

頂上近くの上山道と下山道
 

頂上直下の最後のハシゴ
 

最後の登り
 

上下山用のハシゴ
左が下山用で右が上山用

頂上は奥行き13m、幅3〜6m?
手前に見えるのは三角点、奥に見えるのは祠

岩陰にカメラを置いて祠の前で記念撮影
風が強く、頂上での移動は四つんばいだった

下りは凍ったハシゴが怖い
 

凍った岩も怖かった
 

 12時2分、頂上に立つ。と書きたかったのだが立てなかった。風が強くて四つんばい状態。 頂上は奥行き12〜15m、幅5〜3mぐらいだっただろうか。手前に三角点があり、奥に祠があった。祠まで這っていき、記念写真を撮る。記念写真はあまり撮らない方だが今日は撮りたいと思った。 岩陰にカメラをセットして低い姿勢で撮る。長居は無用と、すぐ下山にかかる。登る時よりも慎重に降りる。いつもは前を向いたまま降りるハシゴも今日は後ろ向きだ。12時20分、小屋に戻る。 やはりコルのあたりが頂上よりも風が強かった。小屋の陰でビールの1人乾杯。食欲がないので、カシューナッツをいくつか食べただけで、15分後に小屋を後にする。


下山時の向かい風は風が体重を支えてくれるのか意外と楽なことが分かった。新雪の中をかんじきで降りているようなふわふわした感じなのだ。 2800mあたりから風がぴたりとやむ。やんだというよりは風の下に出たという感じだった。3000m級の山の怖さを感じた。13時12分、千丈沢乗越分岐点に戻る。雨具を脱ぎ、槍平を目指す。 正面に奥丸山が立派だ。14時13分、槍平のキャンプ場に戻りつく。槍平は奥丸山や南岳への分岐点でもある。
明るいうちに帰らなければならない。右膝が痛み出すがストックでごまかしながら歩く。14時51分、滝谷を通過する。ある角を曲がったときに前方30m程の所に熊がいるのを発見。実は熊ではなかったが熊への恐怖心がそう思わせたのだった。後ずさりしながらカメラのシャッターを切る。 なかなか動かない。ストックを打ち鳴らしてみるが動かない。リュックを揺すり鈴を鳴らしてみても動かない。少しずつ近づいてみると朽ち果てた黒い木だった。15時51分、白出沢出合に戻る。この区間は疲れのせいもあるのか登りよりも時間がかかっている。


 朝方見かけた自転車はもうなかった。残りは林道だけだ。水分を補給してセーターを脱ぎ、ピッチをあげる。途中、穂高平避難小屋の落書き帳に書いていった「槍ヶ岳日帰り予定」の下に「無事帰還」と書き足す。10月16日の奥穂高岳の時も同じような事を書いた。この頃から雨もポツリポツリと降り出す。 16時58分、新穂高温泉の駐車場に帰り着く。車のドアを開けると同時に雨が強く降り出した。車のライトを点けてみると、外はもうかなり暗かった。朝は誰も見掛けなかった温泉街が人で賑わっている。雨の中、沢山の人が歩いていた。いきなりの喧噪だが、意に反してホッとする。誰にも逢わなかった山行きだったからかもしれない。
 温泉街の片隅に車を停めて買った自動販売機の暖かいコーヒーが美味い。めいっぱい体を使った山行きの後に襲ってくるフワフワした感じが好きだ。達成感といったような立派なものじゃなく、終わったという虚脱感、開放感のようなものだ。軟弱な感覚だが、何故か、これがいい。