北穂高岳・涸沢岳



A沢のコルから来た道を振り返える(2004年10月24日撮影)

所在地岐阜県上宝村、長野県安曇村
新穂高温泉 アプローチ神岡町から車で40分
登山口標高1100m
標   高北穂高岳3106m、涸沢岳3110m
標高差単純2010m 累積(+)2860m 累積(−)2860m
沿面距離26Km
登山日2004年10月24日
天 候晴れ後曇り(風強し)
同行者単独
参考コースタイム
 山と高原地図(旺文社)
新穂高温泉(2時間)白出沢出合(2時間30分)槍平(4時間)南岳小屋(1時間)長谷川ピーク(2時間)北穂高岳(2時間15分)穂高岳山荘(5時間30分)白出沢出合(1時間30分)新穂高温泉
合計20時間45分
参考コースタイム
 BIRD'S-EYE-MAP((株)ジオ)
新穂高温泉(2時間)白出沢出合(2時間)槍平(4時間30分)南岳小屋(3時間30分)北穂高岳(1時間30分)穂高岳山荘(5時間20分)白出沢出合(1時間30分)新穂高温泉
合計20時間20分
コースタイム新穂高温泉(1時間11分)白出沢出合(1時間30分)槍平<休憩5分>(1時間58分)南岳小屋<休憩8分>(1時間4分)長谷川ピーク(58分)北穂高岳小屋<休憩35分>(24分)北穂高岳(33分)涸沢南陵途中(40分)北穂高岳(1時間)穂高岳山荘

穂高岳山荘(2時間25分)白出沢出合(1時間10分)新穂高温泉
合計13時間35分 <休憩53分  道を間違えての往復1時間13分含む>


 今年はよく穂高に目が向いた年だった。1月の西穂独標に始まって3月の西穂高岳、7月の焼岳、前穂〜奥穂と続く。10月に入ってからは涸沢、槍ヶ岳についで3回目だ。
 槍ヶ岳から西穂のロープウエイまでの稜線で歩いていないのは南岳小屋〜白出のコルだけとなった。この週末が今年最後のチャンスかもしれないと思いながら新穂高温泉に向けて車を走らせた。


のどかなスタートだった(6時5分)
牛のいなくなった穂高平の牧場

台風23号の影響で滝谷の上で倒木あり
 

 4時頃に家を出たので、夜明けと共にスタート出来ると思っていた。だが実際に林道のゲートをくぐったのは予定よりも遅い6時5分だった。
 ちょっと大きな山をやるときは歩き出すまが嫌だ。暗い道を走っているときは気が重い。さらに明るくなりかけた風景がガスに包まれていたりするといやになる。
 今回もオリオン座を見ながら車をスタートさせたのに国道471号線では黒い雲がたれ込めていて気持ちが重かった。


金沢から来た岸君 南岳経由で槍ヶ岳日帰り
 

笠ヶ岳と奥丸山
 
 林道の途中で近道を通り穂高平に出る。ここで写真を撮っているときに若者がやってきた。昨晩、金沢から来て車中泊していたと言う。
 7時16分。白出沢出合を通過する。滝谷では初めて北穂の稜線を眺めることが出来た。滝谷から少し行ったところで大きなもみの木(?)が2本倒れていて道をふさいでいた。くぐることも出来ず、乗り越える。台風23号による被害のようだ。


逆光に煙る北穂高岳と涸沢岳 
 

南岳小屋からの降り 風が強くなる
 
 金沢からの若者はかなりの健脚でいっしょに付いていっては北穂から涸沢岳を廻っての日帰りは出来ない。ペースを落とす。
 8時45分、槍平で再びいっしょになる。彼も南岳経由で槍ヶ岳を目指すことになった。南岳で様子を見て無理そうなら槍ヶ岳に変更したらどうかと言ってくる。
 それもいい考えだと思ったが、それだと先週と同じコースを逆回りするだけだ。皆に何をしているんだと笑われそうだ。


滑落防止用の柵(?)
 

かなりの急降の連続
 
 先週積もっていた雪はすっかり消えていた。10時48分、南岳小屋についた頃から風が強くなり出す。その頃、健脚の彼はもう中岳へ向かっていたそうだ。
 小屋の東面で風を避けて小休止する。飛騨側からの風でガスが吹き上げてきて西側は真っ白になっている。ガスの流れから目測すると風速は10m以上はありそうだ。
 尾根を越えたガスはやや下降気味に水平に走っていく。北穂高岳もガスに隠れて見えなくなっていた。気持ちを切り替えて大キレットへと向かう。


一つめのはしご
 

屏風岩が小さく見える
 
 ストックはたたんでリュックにしばりつけ岩場、ガレ場を降る。ここの降りは飛騨側をたどるようだ。風は直接吹き付けるが稜線のような危険は感じない。
 途中にハシゴ場が2カ所ある。古い鉄製で岩との間隔が小さいので注意が必要だ。急降を降りきってからも細尾根の岩場が続く。ガスで全体が見えないのが残念だ。


長谷川ピーク 登山者とすれ違うが強風で口が
凍えていて、お互いに会話が出来なかった

長谷川ピークを越えて振り返る
 

 多分長谷川ピークだと思われるところで登山者とすれ違う。ほっとするが冷たい風で頬がかじかんで思ったような会話が出来ない。ひきつった笑顔を交わして別れた。
 長谷川ピークは奥穂の馬の背に似ているような気がした。振り返った長谷川ピークの向こうに一瞬、青空が見えた。


長谷川ピークから見上げた北穂高への登り
 

特に風の強かったA沢のコル
 
 北穂への急登の手前がA沢のコルらしい。コルにあった大きな石に「A沢のコル」と書かれていた。
 ここからの岩場の急登は斜度がきつく、風も強いので慎重に登る。高度感はあるが岩場のホールドもしっかりしているので危険なことはない。
 稜線をはさんで飛騨側に行ったり涸沢側に行ったりする。涸沢側に入ると風がピタリとやんで一息つけるのがありがたかった。
(下の写真は「飛騨泣き」だと大阪のソヨ子さんに教えて頂きました。ありがとうございます)


ガスの中なのでどこだったか不明
 

突然北穂高岳小屋に到着(12時58分)
 
 12時57分、急登がいきなり終わると目の前に北穂小屋があった。オーダーストップが13時なら、なんとか昼食に間に合う。
 小屋に飛び込み食事をお願いする。小屋の人は腕時計を見てうなづいた。やはり食事は13時までだったようだ(^_^)
 ラーメンを注文するが在庫がなくなったとの事。牛丼とスパゲッティーなら出来ると言う。スパゲッティーはナポリタン、ミートソース、カルボナーラがありカルボナーラを注文する。
 内装も落ち着いていて、こじんまりとした都会のレストランのようだった。


常連の女性と縦走中のポーランド人と記念撮影
 

北穂高小屋のカルボナーラ(900円)
 
 奥の席で外人が一人と女性が二人ワインを楽しんでいた。英語がよく通じないようで国籍を聞くと「ホ(ho)ーランド人」だと言う。「ポ(po)ーランド」かと聞くと「ホ(ho)ーランド」だと言う。どうも発音の違いらしい。
 穂高岳山荘泊まりだと言っていた。ワインを飲み過ぎるとこの先の道が「デンジャー」だと言ったら、私の缶ビールを見ておまえも「デンジャー」だと反撃してきた(^_^;)
 このお嬢さんは小さな頃から北穂小屋に来ている常連さんだった。お母さんが若くて、はじめは友達か姉妹かと思ったくらいだった。


北穂高小屋フロント兼売店
 

北穂高小屋を後にする(13時33分)
 
 13時33分、北穂小屋を後にする。35分の休憩は少し贅沢だったかもしれない。ホーランド人は既に穂高岳山荘を目指して出発していた。
 しばらく行くと分岐点に出る。標識は倒れていて涸沢と北穂高岳が上下(?)に書かれていた。奥穂高岳と書かれていたのが地面に向いていて見えなかった。
 ここで勘違いして標識の北穂高岳を頂上往復と思いこみ、涸沢を涸沢岳と読み違えてしまう。いったん北穂の頂上を往復して涸沢へと向かってしまった。
 すれ違った登山者に風は強くないかと聞くと大丈夫だと言う。雨具を脱いで降る。


白くなりかけた雷鳥
 

看板が倒れていて奥穂の表示が見えなかった
涸沢の表示を涸沢岳と勘違いして涸沢へ降る

 降りても降りても道は降り続ける。なにか変だと思い始めた瞬間、ガスがひき、目の前に山小屋が見えた。涸沢岳に小屋があったのか?いやあるはずがない。じゃーこの小屋は何だ???
 涸沢ヒュッテだと気づいたときは、本当にがっかりした。涸沢への南陵を降っていたようだ。無駄に使った体力と時間をカバー出来るだろうか?
 いくつかの対策を考える。
1.上高地側に降りて泊まる→泊まれるだけの金を持ってきていない。→却下。
2.上高地まで降りてタクシーで新穂高温泉へ→タクシー代が足りないかも→却下。
3.涸沢からザイテングラートを登る→穂高の稜線完全走破のために来たはず→却下。
4.登り返す。


ガスがひいて目の前に見えたのは涸沢ヒュッテ
降りきってザイテングラートを登ろうとも思ったが

穂高連峰の稜線完全走破を思い出し、北穂まで
登り返して涸沢岳を目指す

 14時20分北穂高岳を目指して登り返す。この登り返しは精神的にも辛かった。自分の不注意が腹立たしかった。
 頭の中で時間を計算するが、何回計算し直しても明るいうちの日帰りは無理そうだ。どのあたりで暗くなるかも定かでない。
 普通なら白出沢は2時間で降ることが出来ると思う。だがあの強風と気温、凍った白出沢、台風の影響などを考えると時間だけじゃない危険が考えられる。
 15時、北穂高岳に戻り、解りにくいペンキ印をたよりに涸沢岳へ向かう。頂上の看板と標識ぐらいはあって欲しかった。


いよいよ気温は下がりエビのシッポが岩肌に
 

鎖は使わず岩のホールドだけを頼りに登る
 
 いったん降った後の涸沢岳の登りは岩場の急登である。北穂高岳よりも嫌だと思ったのは凍っていた事だった。先ほどの登山者が「風がない」と言っていたのは涸沢だったからだ。涸沢岳の稜線は冷たい強風が吹きつけている。
 髪の毛も睫毛もバリバリに凍っていく。凍った鎖は使わず岩だけでホールドを確保して登る。さいわい、岩の内側まではまだ凍っていなかった。
 北穂小屋で会った母親が「北穂の登りより涸沢の登りの方が怖かった。涸沢岳では小さな娘をザイルで結んだ」と言っていたのを思い出す。
 90度に見えるような急登がいきなり平らになる。涸沢岳であってくれと祈りながら歩く。頂上が分からないまま降り出す。
 右に向かっているようなので磁石で方向を確かめる。分岐する道はないはずなのだが先ほどの失敗が身にしみている。迷い道などに踏み込んでの登り返しはしたくない。


はしごに手の跡が残っていたが先に出発した
ポーランド人のものか?

涸沢岳からガラ場を降って穂高岳山荘に到着
時間は16時、強風、白出沢を降るのを断念

 ジグザグのザラ場を降っていくとヘリポートが目の前に現れる。穂高岳山荘だ。16時0分、いったん山荘の中に入る。
 山荘の中では泊まり客が夕食前のひとときを楽しんでいるようだった。フロントの女性から白出沢の状況を訊ねるがはっきりとしない。
 今まで歩いていた自分の方が状況を把握しているのかもしれない。泊まり客も無理はするなと言う顔で見ているが止めようとする者はいない。
 ヤマヤという人種は相手のキャリアが解らないうちは相手の行動に対して口をはさまないようにするものらしい。


穂高岳山荘フロント兼売店
 

穂高岳山荘談話室
 
 しばらく悩んだが、明るくて暖かいところに入ってしまうと暗くて寒いところに出て行くのが嫌になる。強風、凍結、暗闇等の危険性を考えて泊まることにした。
 気のせいか宿泊客の皆さんもほっとしているようだった。一泊二食8800円を払い靴を脱ぐ。明日は午後からの出社になってしまったが、しょうがない。
 そんなことはすぐ忘れる性格らしく、ストーブに当たりながらのビールが美味しかった。


穂高岳山荘フロント前の休憩室
 

表面が凍っていた白出沢の登山道
 
 夕食をとったのが11名で、自炊(?)組が5〜6名ほどいたようだった。穂高岳山荘の夕食はコロッケと決まっているそうだ。そしてその通りだった。
 食後は3組に分かれて団欒(だんらん)の一時を過ごす。食堂横のストーブ周りは自炊組。テレビの前のストーブ周りに一組。あとは本棚のある談話室に一組だった。
 女性客が1人いたが彼女は毎週福井から穂高に通っているそうだ。その雰囲気から豊本さんが以前、前穂で会った方だろうと思って訊ねてみるとその通りだった。
 女傑の部類に入るかもしれない(失礼!)。煙草を吹かしながら男どもを煙に巻いている。次の日にいっしょに白出を降る約束をして眠りについた。9時消灯。


荷継沢の下で登山道が崖崩れで崩壊
 

重太郎橋も流されて流木の丸木橋になっていた
 
 5時頃から廊下が騒がしくなってくる。外に出てみると山荘前の石畳は真っ白だった。積雪は1cm程だろうか?風に飛ばされていてよく分からない。
 朝食は6時からだ。テレビの天気予報は今日は晴れだと言っている。皆は快晴の景色を楽しんでからの下山を考えているようだ。
 午後からの出社を予定しているのでゆっくりは出来ない。福井の女性も予定変更のようなので、先に降りると言って6時25分、山荘を後にする。

 白出沢の石畳は凍っていてソールのフリクションが全く聞かない。岩角を選んで足を運ぶしかない。注意をしていたのだが転倒してしまい、一回転して3m程滑り落ちてしまった。岩角にあちこちぶつけたが大丈夫だった。
 しばらく降りたところで写真を撮ろうとしてカメラを落としたことに気づく。転倒した場所まで登り返すことになった。今回はよく登り返す登山だ。
 かすかに滑った跡を見つけ、運良く岩の間にカメラを見つける事が出来た。水没からの復活といい、運のいいカメラだ。
 凍った岩場を過ぎて上を見ると誰か一人降りてくる。待っていると福井の方だった。昨日の約束が気になって追ってきたらしい。
 「2度も尻餅をついた。怖かった」と言っていた。でも、一回転するよりはいいと思うのですが?


久しぶりに対面したカモシカ君
 

穂高岳山荘からいっしょに降った福井の高原さん
 
 荷継沢の下で斜面が崩壊していて登山道を塞いでいた。その後の鉱石沢への急降、重太郎の岩切道を降り、白出沢に出てみると重太郎橋が流されていた。曲がった小さな丸木がかろうじて橋の役目をしている。いずれも真っ暗な中では嫌な道だっただろう。昨日、無理に降りなくてよかったと思った。
 8時50分、白出沢出合に到着する。なんとなく小休止をとり、お互いに自己紹介しあう。彼女の名前は高原さんだった。
 終わりがけの紅葉を楽しみながら10時5分、新穂高温泉に帰る。半日とは言え、とうとう登山が原因で仕事を休んでしまった。が、心は意外にさっぱりしている。なぜだろう?


沢山の観光客を見ると別世界に降りてきたよう
な不思議な感覚に捕らわれる

新穂高温泉からの帰り道で見上げた錫杖岳
 

 高原さんとバスターミナルで別れて富山へと車を走らせる。11時50分、家へ寄ってシャワーを浴び、着替えて昼休みの間に知らん顔して会社のデスクに座っていた。
 皆も知らん顔で迎えてくれた。ありがとう。

後日談1.
 帰るとき、ワイパーにメモが挟まっていた。槍平までいっしょだった金沢の岸君からのものだった。「北穂に行ったのでしょうか? 天候が悪くなったので心配しています。下山されたら連絡下さい。」と言うもので、携帯の番号と名前が書かれていた。
 二日後に電話をいれたのだったが、遭難したのではないかと、おそるおそる新聞を見ていたそうだ。連絡が遅れて申し訳ない。

後日談2.
 転倒したときに体のあちこちを岩にぶつけてしまい、右膝の上が青くなっていた。

後日談3.
 北穂高岳で会ったホーランド人は予定通り穂高岳山荘に泊まっていた。「どうしたんだい?」という顔に「リタイア」と答えたのが悔しかった。
 どうも彼は日本に長いらしい。朝食も生卵を割って卵ご飯を作り、箸を使って海苔で巻いて食べていた(^_^;)