御嶽山 |
---|
所在地 | 岐阜県小坂町、長野県三岳村、王滝村 | |
黒沢口登山口 | アプローチ | 国道361号線で開田高原を経て御岳ロープウエイへ |
登山口標高 | 1940m | |
標 高 | 3067m | |
標高差 | 単純1127m | |
沿面距離 | 4.7Km | |
登山日 | 2004年8月28日 | |
天 候 | 晴れ時々曇り | |
同行者 | 会社の霊峰巡りの有志19名 | |
参考コースタイム 山と高原地図(旺文社) | 6合目[中の湯](1時間)7合目[行場山荘](1時間10分)8合目[女人堂](1時間20分)9合目[覚明堂](35分)御岳山頂上(25分)9合目[覚明堂](40分)8合目[女人堂](40分)7合目[行場山荘](40分)6合目[中の湯] | |
コースタイム | 6合目[中の湯](1時間2分)7合目[行場山荘](1時間1分)8合目[女人堂](40分)9合目[石室山荘]<休憩16分>(26分)御岳山頂上<休憩2時間10分後お池巡り>(1時間10分)9合目[覚明堂](25分)8合目[女人堂](21分)7合目[行場山荘](19分)6合目[中の湯] |
ひょうんな事から始まった霊峰巡りも今年で3回目である。一昨年の白山、昨年の富士山に続いて本年の御嶽山となった。 霊峰巡りと言うといかにも信仰心が厚いように聞こえるが元はと言えば、賞与があたるとかあたらないとかで始まった登山である。そんな不心得者の我々にご利益はあるのか? 朝4時に某広場に集合する。東は入善町、宇奈月町、西は高岡市、小杉町と早起きを強いられている。 ほぼ定刻に集合した19名は荷物を積み替え、41号線を一路高山へと向かう。 |
朝7時半 ロープウエイ乗り場に到着 |
6合目まで車で行き、歩いて登る事になった |
神岡を過ぎたあたりから夜が白み始める。天気予報は降水確率70〜80%で、最悪だったが、何となく空は明るい。 雨男の称号を与えられそうになっていた大塚、清水の表情も明るい。 それにしてもカーナビの「○○m先で左に曲がって下さい」と言うのがうるさい。神岡の手前からこれをもう何回も聞かされている。だが運転手もこれを無視し続けている。 「そろそろいい加減に私の言う事を聞いて下さい」とか「私が必要ないようなので電源を切らせて頂きます」とか言えば面白いのに、とふと思った。 |
駐車場のすぐ上にある中の湯 |
7合目の八海山(酒の名前にあったような?) |
7時半、御岳ロープウエイの乗り場に到着する。駐車場はまばらだ。ロープウエイの駅もひっそりとしている。 もっとも9時始発なのでしょうがない。だが監事の郷田が「もっと早い時間から動いているはず」と言うので4時に集合したのだった。まーいい。 六合目まで車で行って歩こうという事になる。六合目の駐車場で身支度をして準備運動をする。 8時5分、副隊長は準備運動が終わらないうちに出発してしまい、小さな先頭集団を形成している。残った者も三々五々出て行く。予想通りだったが出発からバラバラである。 樹林帯の中を行く先頭集団はピッチが速い。この先が心配だ。 |
7合目の行場山荘に到着 |
行場山荘のなか |
駐車場のすぐ上に「中の湯」があり、さらに上に七合目「八海山」があった。「八海山」はすでに営業を終了している。 七合目の行場山荘に着いたのは9時7分だった。ロープウエイに乗ってきたのと変わらない時間だった(^_^;) それにしても最終グループは休憩が多い。あまりだらだらしているので出発時間を決めた。だがちょっと早めに出ようとするとまだ時間前だと言う。出発時間ですと言うとまだ煙草を吸い終わっていないと言う。 勝手に歩いてもらう事にして先に行く事にする。 |
8合目女人堂は閉館中 |
鳥居の中にお坊様の像が(神仏混淆) |
八合目の女人堂近くで大塚、吉田等の5人のグループに追いついた。ガスがかからないうちに頂上に立ちたかったので先に行かせてもらう。 同じ理由でそのグループから滝林が抜け出して来た。営業を終了していた女人堂では青空だったのに小さな沢を越えた時にはガスで真っ白だった。 ガスの中に田子が横を向いて立っている。休憩しているにしても全然動かない。近づいてみるとそれは仏像だった。 ここから先は全員が単独で歩いていた。そういう社風なのだ。 |
9合目石室山荘への急登 |
石室山荘到着 |
途中で滝林と離れ、九合目の岩室山荘で清水と郷田に追いつく。二人がトップだった。 登山道は山荘の中を貫いている。小屋の前が登山道になっている富士山に似ていると思った。 小屋の畳の上にゆで卵が置いてあり、「ぬでたまご、ご自由にどうぞ」と張り紙がしてある。台風で団体のキャンセルをくらったそうだ。 お気の毒にと思いながら2個も頂いた。なんとなく申し訳ないので缶ビールを注文。清水も釣られて注文している。 |
登山道は石室山荘の中を通っている |
台風で団体にキャンセルされ、あまった卵 |
このままでいるとゆで卵がなくなりそうなので、小屋を出て頂上を目指す。ガスで見えなかったがワンピッチで覚明堂の小屋に到着する。 覚明堂は営業を終了していた。御岳ロープウエイの昨年の事故から1年、今年の8月1日からのオープンだったが営業時間も遅く、お客さんは戻っていないようだ。 |
青空の彼方にに頂上が見える |
覚明堂は閉館中 |
覚明堂からは斜めにトラバースするなだらかな道だ。途中で一の池、二の池が見える。一の池は干上がっていた。 頂上に見える小屋は何処かの要塞の様に見える。西部劇で見たアパッチの砦だったか? 松本零士か宮崎駿の漫画だったかもしれない。 |
頂上への最後の道はなだらか |
頂上下の小屋 |
11時30分、一気に石畳の階段を上りきって頂上に立つ。御嶽山で一番辛かったのは何処かと聞かれたら最後の階段の登りだと答えるだろう。 |
登山道中、最もきつい最後の階段 |
頂上の神社 |
御嶽山の頂上からは一の池と二の池しか見えないが、実際には四の池まである。この御岳の池を全部歩くと富士山のお鉢巡りの3倍は歩かないといけない。 全員が揃うまで待っていようなどというやさしい性格の持ち主などいる訳もなく、乾杯が始まった。至福のひとときである。 全員が揃うまで待っていたら2時間も待っていなければいけなかった。 |
左に干上がった一の池、右に水を貯えた二の池 |
取りあえず乾杯して後続を待つ |
寝不足も祟ってか、しばし爆睡する。13時30分、最後の登頂者を迎えて記念写真を撮った。我が社ではこれを「集合写真」と呼んでいる。 写真を撮ってもらったのは仲のいいお二人さんだったが、この女性の方は何処かで会った事がある。それも山じゃなく富山市内だったと思う。 |
鶏もいっしょに乾杯? |
何処かであったことのある人だと思ったが.. |
お池巡り班と直降班との2班に分かれる事になった。お池巡りは意外とアップダウンが激しい。ガスが晴れて干上がった一の池が見える。 一の池を横断して二の池へ行こうというのはすぐにまとまった。こういう事がすぐにまとまるのも我が社の社風だ(^_^;) |
そのまま下山隊と御池巡り隊に別れる |
御池巡りはアップダウンが連続 |
ガラ場を降って一の池へ降り立つと、そこは火星のクレーターのような感じだった。砂漠のようにも感じるが砂漠には岩は落ちていない。 ガスで外輪山が見えないのもその幻想的なイメージをさらに強くしている。磁石で方向を確かめながら二の池をめざす。 |
途中で水のない一の池へ降りる |
ちょっと異様な雰囲気が漂っていた |
ガスで周りがはっきりしないので砂漠のよう |
磁石で方向を定めて歩く |
一の池の中央は岩もなく、ゴビの砂漠でもあるいているような気分だった。一の池から二の池への降りもガラ場になっていて、そのガラ場に立ち入り禁止の看板が落ちていた。 人ごとのようにその看板を岩に立てかけて見えやすいようにしてきたが、上から降りてきた人には何の役にもたたない。 |
二の池を見下ろす |
途中に立ち入り禁止の看板が落ちていた |
一の池には水がなく、二の池にも水が少なかった。雪解けの頃にはどのくらいの水量があるのだろう。一度見てみたいと思った。 頂上との登山道と合流すると九合目の「覚明堂」はすぐ近くだった。14時50分、本格的に下山開始。 降りは郷田が速い。途中で直降組を追い越し、一気に標高を下げる。さらに行場山荘からは郷田が走り出す。こんな奴にはついて行けない。 6合目で待っていろと言って先に行ってもらったが、最後は追いつく。15時55分だった。 |
二の池と二の池山荘 |
下山路に戻る |
6合目の駐車場売店で缶ビールを買う。アルペンルートから来たというと何故か解らないが天ぷらや漬け物をご馳走してくれた。(同じように山を職場にしている親近感からだろうか?) ロープウエイの事故以来、お客さんが減ったそうだ。 |
覚明堂からは一気に駆け下りて皆を待つ |
リュック達、強者どもが、夢の後 |
ゴンドラの駅に車を1台回して皆を待つ。三の池まで回った連中もなんとか16時30分の最終に間に合って降りてきた。 吉田だけが6合目まで歩いて降りているようだ。もう1台の車と吉田を回収して全員揃う。取りあえず第3回日本霊峰巡りは無事終了。 開田高原の「やまゆり荘」で温泉につかり、夕食を食べて富山へと車を走らせた。 |
左端は置物でありません、登山隊の隊長です |
やまゆり荘で温泉につかり、一気に富山へ |
実は第3回日本霊峰巡りの候補は出羽三山だった。遠くは大変だという事で近くの御嶽山に変更していたのだった。 御嶽山が終わってしまうと又、出羽三山が復活するんじゃないかと心配していたら早速その名前が...帰りの車中で...(^_^;) |