福地山



福地山頂上から眺めた穂高連峰(2006年5月3日撮影)

所在地岐阜県高山市福地温泉
登山口 アプローチ栃尾温泉と平湯温泉の間にある福地温泉が登山口
登山口標高947m
標   高1671m
標高差単純724m 累積840m
沿面距離片道3Km
登山日2006年5月3日
天 候快晴
同行者単独
参考コースタイム
 岐阜県の山(山と渓谷社)
登山口(1時間30分)無然平(1時間)福地山頂上(45分)無然平(1時間)登山口
合計4時間15分
コースタイム
 
登山口(55分)無然平(50分)福地山頂上<休憩1時間12分>(20分)無然平(23分)登山口
合計3時間40分<休憩1時間12分含む>


 新・分県登山ガイド「岐阜県の山」に観音山に代わって福地山が載るようになった。穂高の展望台とも言われている山である。
 連休中は渋滞を避けて近くの里山にという条件もクリアしている。連休後半初日の5月3日、福地山に向かった。


栃尾温泉への途中で見上げる焼岳
 

福地温泉朝市の前が登山口
 
 里山と思って馬鹿にしたわけではないが、家を出たのは9時をまわっていた。空模様があまりよくなかったせいもある。
 41号線を南下して神岡を過ぎ、471号線に入った頃から青空が出はじめた。「もっと早く出ればよかった」と悔やむのはいつもの事である。
 福地温泉に入り、登山口を探すがよく分からない。駐車場に炭を割って、袋詰めしている少年がいた。尋ねると登山口はすぐ近くだった。


入って右が化石遊歩道で左が登山口
 

遠くに焼岳が見えてくる
 
 その駐車場を借り、100m程離れた登山口に向かう。旧化石館、朝市の前が福地山の登山口となっている。
 標識があったのだが、コンクリートの広い階段になっていたので見過ごしてしまったようだ。階段を上るとすぐに「←福地山登山道」と「化石遊歩道→」の2つの看板がある。
 左の登山道を行く。急坂の杉林はよく整備されたジグザグの道で歩きやすい。標高差はそれほどないが、ゆっくりペースを作りながら登る。


夏は雑木林の中で見通しが悪そうだ
 

この分岐で迷って右を選んだ 正解だった
 
 標高1300mあたりで右に折れる道と真っ直ぐに行く道に分岐していた。真っ直ぐの道は雪渓が残っていて足跡がある。
 だが、足跡のある道が正しいとは限らない。それで今まで何度、痛い目にあってきたことか。足跡を信じず、自分の勘を信じて右を選ぶ。(地図を持ってこなかった自分が一番悪い)  


ここから右に入るのが尾根道で左が沢道
 

穂高連峰が徐々に浮き上がってくる
 
 次の分岐(1320m)には標識があった。右が尾根コースで左が沢コース。沢コースを選ぶのは夏の暑い季節だけだろう。
 後方には穂高連峰が徐々に浮き上がってくる。噂通りに展望の素晴らしい山だ。標高1381mが第1展望台となっている。だが、この季節は枝に葉がないので、何処でも展望台である。


無然(むぜん)の石像がある無然平
 

ここから右に入る尾根道は絶対分からない
 
 そこから平坦な道を行くと沢道と合流する。そこには飛騨の聖人、篠原無然の石像があった。無然平らしい。
 無然像は毛糸の帽子を2枚も被っていた。被せた人の気持ちは解らないでもないが、そのセンスは理解できない。無然像はお地蔵さんではないのだ。


完全に雪道となるが面倒でスパッツはつけない
 

第三展望台からコースを北に変える
 
 1440mあたりで降りてきたご夫婦と出会う。すぐ横の尾根道の分岐を教えてもらう。その道は知っていないと絶対に分からない道だった。
 展望がいいと聞いて、そちらを辿る。今までの道とはまったく違う、人とはすれ違いも出来ないほどの細い道だった。昔からの道なのだろうか。


第四展望台
 

乗鞍展望台 確かにバックは乗鞍岳
 
 なだらかになり、やや降ったところで本来の道に合流する。そこから又ジグザグの道を上り、ひょいと出たのが1559mの小ピーク、第3展望台だった。ここから90度、北にコースを変え、いったん降る。
 最後の急登を登りきり、だらだらと北上し、(12時45分)、頂上に出る。結構な人達とすれ違い、追い越したのに、頂上にいたのは2人だけだった。


頂上の標識はなさけないものだった
 

中央にあるのはシラビソのモニュメント?
 
 このお二人は千葉からこられた広渡さんご夫婦。栃尾温泉を拠点に、今日が福地山で明日が清見村の御前岳、そして明後日が奥丸山だと言う。
 山三昧のGWを過ごしているのが羨ましい。だが、おっくうがって連休に遠出をしない者が羨ましいと言ってはいけない。


千葉からお越しの広渡さんご夫妻
 

笠ヶ岳と手前に大木場の辻
 
 頂上は広く、展望がいい。大木場の辻の上に乗っかるような格好の笠ヶ岳から乗鞍岳まで180度見渡せる。但し、西側の白山や金剛堂山は木立に隠れて見えない。
 里山にはストーブが似合う。お湯を沸かし、カップラーメンを作り、コーヒーいれる。


槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳、涸沢岳、西穂高岳、前穂高岳、明神岳(北穂、奥穂は見えない)
 
 たっぷり1時間以上景色を楽しんで13時57分、頂上を後にする。雪道は足を滑らせながら降りられるので早い。20分で無然平まで降りる。
 ショートカット出来そうなところは雪のないところでも直降する。そして14時60分に登山口。無然平から23分で降りてしまう。


福地山頂上を後にする
 

登山口近くにあった東屋
 
 福地温泉は人影も少なく、午後の光だけが白っぽく景色を包んでいた。ちょっとけだるく、どこか懐かしい風景の中を駐車場まで歩く。
 一言お礼をと思ったが、炭を割っていた少年はもういなかった。帰りの蒲田川沿い471号線の白い桜が逆行に輝いていた。


近くの無料の駐車場にもどる
 

帰路、蒲田川沿いで見かけた白い桜
 
篠原無然 (1889年〜1924年)兵庫県美方群西浜村(現浜坂町)出身。
 高校時代に死を宣告されるほど思い心臓病を患う。早稲田大学卒業後、自分の品性や人格を磨くため奥飛騨の上宝村に小学校の代用教員として身を置く。さらに奥深い平湯を修養の場と選び、質素な生活の場で独自の悟りを開いた聖人。
 教員として子供を教えただけでなく、村人達や近隣の部落の人達にも教えを説き、里人達の全てから深く尊敬された。
 1924年11月、単独で平湯峠を越えようとして吹雪に遭い、凍死。享年36歳。

 穂刈三寿雄さんの「槍ヶ岳翠明」の中で、乗鞍岳で篠原無然さんと遭遇したことが書かれていた。「しかも麻服を着ている男は前回此処であった平湯小学校分教場の教員、篠原某という人物で、今度はこの小屋の中に十日間の予定で篭もって勉強すると言った。」とあった。


登り初めは杉の植林帯でGPSの電波がよく拾えずぐちゃぐちゃになっている