池ノ山 |
---|
所在地 | 飛騨市茂住 | |
飛騨市茂住 | アプローチ | 国道41号線を南下して県境を越え4.5Km先 |
駐車場標高 | 264m | |
池ノ山標高 | 1369m | |
標高差 | 単純1105m | |
沿面距離 | 片道4.5Km | |
登山日 | 2006年2月19日 | |
天 候 | 晴 | |
同行者 | 単独 | |
コースタイム |
茂住(3時間20分)池ノ山頂上<休憩1時間10分>(2時間10分)茂住 合計6時間40分<休憩1時間10分含む> |
私の少年時代を過ごした大津山。その大津山の集落跡と池ノ山を大高山から眺めた。大津山経由で池ノ山に行こうと決めた。 大津山は1975年に三井金属のリストラで全員が下界の施設に引っ越し、廃墟となった社宅だけで成り立っていた集落である。 誕生から消滅まで100年の歴史を刻み、最盛期には300軒、1000人を抱えた、雲上の不思議な街だった。マチュピチュとまでは言わないが普通に人が移り住んでくるようなところではなかった。 |
東茂住の旧軌道跡を出発(7時50分) |
初めの標高差300mは40度ぐらいの急登 |
標高差と距離があるので早めに家を出る。と言っても7時である。東茂住の東側を走っていた三井金属の軌道跡と長棟への林道が交差するところに車を停めて身支度する。 前日に600mの尾根まで積雪や雪質の下見で往復している。7時50分、その凍った輪かんの跡をつぼ足でスタートする。 600m尾根まで、斜度が35〜40度近くありそうな沢が続く。この標高差350mをゆっくり登り、今日のペースを作る。 |
大津山への歩道には3つの休憩小屋がある |
左から大高山、西新山、大谷の頭、洞山 |
尾根に出たところに古い歩道に設けてあった休憩小屋がある。途中に3棟あり、これはそのうちの2番目のものだ。以前あったのはもう少し小さい木造のもので「2の小屋」(にのこや)と呼んでいた。下から「1の小屋」「2の小屋」「3の小屋」である。 ここから尾根を走っている旧鉱山の通信線に沿って登る。日陰のところは雪が深いので輪かんをはいた。だが急斜面では凍っているところもあり歩きにくい。 比較的なだらかな斜面は横向きに歩いて、輪かんの爪をアイゼン代わりにする。急なところはそれも出来ず輪かんのままつま先でキックステップを試みた。 偶然だったがつま先が輪かんの下に突き出て普通につま先のキックステップが効いた。急登が終わった後は足の位置を元に戻す。どの本にも載っていない新しいテクニックだろう。邪道と言われてもこれは使えそうだ。 |
鉱石を運んでいた索道の鉄塔がまだ残っていた |
3棟残っていた社宅のうちのひとつ |
かつての大津山は冬期間、積雪のため、自動車道路が閉鎖されて陸の孤島となっていた。その間の資材輸送に利用されていたのが鉱石を下ろしていた索道の帰りのバケットだった。 大津山から茂住まで標高差550m、距離1.5Kmの間に鉄塔が3基あり、高さは各々20m〜30mもあった。そのうちの1本を樹林の間に眺める事が出来た。 尾根を登り切ると大津山である。いきなり雪の積もった社宅が現れた。比較的新しく建った社宅だったので崩壊は進んでいない。 |
残っていた社宅のふたつ目 |
山の中で1人で見ていると怖いものがあった |
それから上の3棟は潰れて雪の下になっている。そしてその上の1棟がまだ残っていた。玄関や窓は壊れ梁も曲がっている。2m近い屋根雪を支えているのが不思議だった 熊が冬眠していないか心配ですぐには近づけなかった。だが怖いもの見たさもある。おそるおそる近づいて覗いてみる。熊はいなかった。 熊も怖かったが人間がいたらどうしようかと真剣に考えた。ひたすら逃げるのか、とりあえず挨拶するのか... |
残っていた社宅のみっつ目 |
ここから索道で鉱石を運び出していた |
社宅は右下に見える1棟を含めて3棟しか残っていなかった。大きな段差がある社宅跡をいくつか越え、バス停跡に登る。 この横の長い広場に食料品から日用雑貨、洋服や靴、カバンなどあらゆるものを売っていた購買部と呼ばていた施設があった。大津山鉱業所の事務所や組合、診療所などがあり、大津山鉱業所の要となっていた場所だった。 |
ここに色々なお店や病院などがあった |
社宅の防火壁だけが残っている |
この上に大津山小中学校とさらにその上に社宅が1棟建っていた。その壁を登り切れなくて左側から巻く。沢筋の鞍部を登る予定だったが、地形的には大きな差がないので、そのまま左側の尾根を登る。 途中に大きなコンクリートの水槽のようなものがあった。大津山の水道用のものだったのだろうか? |
標高950mに小さな索道用の鉄塔があった |
全部でみっつあったが何のためのものか? |
このあたりの広い斜面は学校のスキー大会などに利用されていたところだった。今でも灌木が少なく十分スキーを楽しめそうだ。 標高950mから1000mにかけて小さな鉄塔が3基建っていた。初めて見るもので、その存在さえ知らなかった。 こんなところに抗口(坑道の入口)があったとは思えないし、長棟側から山越えで鉱石を運んだという話も聞いていない。おそらく戦前に建てられたものだろうが大津山の歴史を探る上で興味深い構築物だ。 |
1本だけ残っていた大きなブナの木 |
同じ頃に芽吹いたと思われるブナ林 |
辿ってきた尾根は右に曲がり(南下)やや急な斜面を登ると右の尾根と合流して広い尾根となる。幅は200m近くもあり、視界の効かないときは気をつけなければいけない。 広尾根が終わると尾根は西に向かい、若いブナ林が続く。不思議なのは同じような年代の若いブナが揃っていることである。それはある年に突然山の木がなくなり(伐採?)一斉にブナが生え始めたということなのだ。若いブナも大人のブナも老木も混じっているのが、自然な山林だと思う。 |
西の方角には剱岳や大日岳、立山が見えた |
大きな薬師岳 |
10時40分、稜線に出ると一気に視界が広がった。長棟川を隔てた西笠山の彼方に剱岳が見える。よく見ると僧ケ岳から駒ケ岳、大明神に毛勝岳、大日岳や別山も識別できる。 ここから池ノ山まで直線距離で800m。左に弧を描きながらアップダウンを繰り返し、1357mピークは右側を巻く。(帰路はピークに寄った) 標高が高いだけあって北斜面は2日前の降雪がパウダースノーのまま残っている。何処が池ノ山か分からないまま30mほどの斜面を登り切るとブナの木に赤いテープが巻いてあった。頂上だった。11時10分 |
北ノ俣岳と黒部五郎岳 |
黒部五郎岳と槍ヶ岳、穂高連峰 |
直径10mほどの丸い頂上は北側の一部を除いてほとんどの山並みが見渡せた。深田百名山だけでも剱岳、立山、薬師岳、黒部五郎岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳、焼岳、乗鞍岳、御嶽山、白山と遮るもの無く見渡せる。 視界はさらに金剛堂山や白木峰へと繋がっている。こんなに広く、沢山の山が見渡せる頂上は初めてだった。富山県の里山の中では最高の展望を誇る山だと思った。 この素晴らしい池ノ山→池の山→ikeの山→池原の山。 すみません(^_^) |
左から槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳、布引岳、笠ヶ岳 |
西風が冷たいのでセーターとヤッケを着込む。1人山並みを眺めながらの山座同定が楽しい。近くに見える山は北から右へ六谷山、西笠山、横岳、高幡山は分かりやすい。 森茂牧場の後ろは大鼠山、桑崎山、天蓋山だろうか?その南側はさっぱり分からない。西側に見えるのは大洞山、流葉山、漆山岳、ソンボ山らしい。 大高山や西新山、洞山は樹林の陰になって見えない。 |
右奥に乗鞍岳、その手前に天蓋山、左下は山之村の森茂牧場 |
12時20分、頂上を後にする。アップダウンを繰り返し、1357mピークに寄る。特に変わったものはなかった。 左側に大きな尾根が見える所で、稜線を離れる。ここは視界が悪くトレースが消えていると目印となるものがない。往路で何か目印を残しておきたい場所だ。 謎の小鉄塔の横を通り、沢沿いを降る。廃屋の横を再び通るのは気が重かった。 |
頂上のブナの木に赤いテープが(11時10分) |
本日は亜麻仁油たっぷりの輪かんをチョイス |
降るにつれて雪が腐ってきて歩きにくくなってくる。2日前の雪が硬い圧雪の上に載っていて足下から表層雪崩のように滑る。意図しない尻セードーを何回かやらされた。 子供の頃から、かって知った山なので何処を降ってもよかったのだが、登ったところがいちばん降りやすい。ほぼトレースを辿って降った。 |
帰りの尾根歩きは何カ所か登り返しもある |
広い尾根なのでトレースをはずさないようにする |