八尾御鷹山



井田川の十三国橋から望む御鷹山 左奥は高峯で右奥は牛岳

所在地富山市旧八尾町、旧山田村
芦谷登山口 アプローチ八尾町室牧川から芦谷部落へ入る
登山口標高670m
標   高807m
標高差単純m137
沿面距離片道1Km
登山日2006年11月18日
天 候晴れ
同行者単独
コースタイム 登山開始(20分)藪漕ぎ地点(35分)頂上<休憩45分>(25分)藪漕ぎ地点(17分)登山口
合計2時間22分<休憩45分含む>


 家の窓から南西方向に見える山が三つある。井田川の上流彼方に高峯と牛岳が連なり、その手前に割って入るように御鷹山がそびえている。
 出勤時、バス停への十三国橋の上で眺める山でもある。高峯は車で行くことが出来る。(行った事もある)牛岳は何回か登った。
 御鷹山はススタケを採りに近くまで登ったことはあったが頂上は意識していなかった。気になっているのになかなか行くチャンスのない山だった。
 御鷹山は富山県に二つあり、楡原と桐谷の間に1座、八尾と山田村の間にもう1座がある。両者を区別するために前者を楡原御鷹山、後者を八尾御鷹山と呼んでいる。今回登ったのは後者の山である。


足谷集落から最初のカーブで左に入る
 

次の分岐は右に入る
 
 ネットで調べても無雪季の記録は見つからなかった。積雪期も富山ハイキングクラブが今年(2006年)の2月に登っているのが見つかっただけだ。
 「とやま山紀行」では山田村の方から1994年2月に双嶺グループ、1995年3月に高岡ハイキングクラブの方が登頂の記録を残しているだけで、これも積雪期である。
 無雪期ではあるが、頂上近くまで林道が延びている。行けるところまで行って、藪漕ぎ体力勝負で何とかなると思った。幸い、急登もない。


小屋のある次の分岐も右に入る
 

その次は藪のような左の道に入る
 
 室牧川を上り、左岸の足谷集落に向かう。足谷に残っているのは数軒だけで、稲作期だけに人が入る、ほとんど廃村に近い集落のようだ。
 足谷集落を過ぎてすぐに林道は右に大きくカーブして沢を渡る。ここで沢を渡らず、右岸に延びている山道に入る。
 両側に草が生い茂っていて車を擦り、不安になる。徐々に草がなくなり道幅が広がっていくのが不思議だ。最初の分岐は地図には載っていなかった。ここは右の林道を行く。


折り返すようにしてあった道を発見
 

踏み跡もあり藪を漕ぐより楽
 
 次の小屋のある分岐は左に行きたい誘惑をこらえて右を行く。次の分岐で左に入る。あまり車の入っていない草の生い茂った道だった。
 標高は稼いでいないが頂上には近づいているはずだ。草で道がよく見えないので崩れて抜けている所がないか慎重に見ながら車を走らせた。
 道が降り始めたのでユーターン出来る場所まで行って引き返す。戻る途中で山に向かっている道を発見した。幸運だった。


その道が降り始めたので尾根に取り付く
 

赤い布を発見
 
 空き地に車を停めて、ここから山に入る。草に覆われているが藪こぎよりはずっとましだ。標高も少しずつ上げている。
 尾根を回り込んだあと、大きく崩れているところを回り込んで行くと降り道となった。尾根まで戻って藪に取り付く。
 たらの木やノイバラが多く、衣服にひっかかって歩きにくい。明瞭な尾根ではないのでポイントでは赤い布を残していく。


頂上? 刈り開けてあり、三角点があった
 

頂上の三等三角点
 
 突然といった感じで斜面が終わり、なだらかな稜線となる。主稜に出たようで葉の落ちた灌木の間から対岸の山が見えた。右からのなだらかな尾根との合流点のようだ。ここにも赤い布を目印として残して行く。
 小さなコルを越えたあと、登りかえしていくといきなり刈り開けた場所に出た。あまりのあっけなさに頂上とは思えなかった。だがよく見ると三角点があった。
 三等と書かれた三角点は間違いなく頂上だった。刈り開けてあるが廻りは灌木で覆われている。葉が落ちた今の季節は木々の間から、かすかに山々を望む事が出来た。


所々に残してきた目印の赤い布
 

4本しか持っていなかったが有効に働く
 
 昼食休憩後、頂上を後にする。久しぶりの単独行に、山行きの原点のようなものを思い出した。単独行には誰と行っても味わう事の出来ない何かがある。
 寂しさと共に、深く心に迫る山の沈黙の声。孤独感と安心感。山に生まれ、育った者が感じる懐かしさ?単独行という緊張感がそれらを増幅してくれるようだ。


下山後、大道城趾を見に行く
 

山の上で井戸を掘って水が出るんだろうか?
 
 赤い布をたどりながら降る。それでも最後に少しコースをはずし、上り口に戻れなかった。やはり降りは難しい。
 あっけなく終わったので近くにある大道城趾を見学に行く。地図には載っていない林道が続いている。その先へも延びているので山田村まで降りられるのかもしれない。

 大道城は戦国時代に建てられた山城らしい。こんな山奥に立てられた城に何の意味があるのか、門外漢の私には解らない。
 だが、400年前にここに建っていたという大道城を思い浮かべると、何となく歴史へのロマンのようなものを感じる。その昔、ここを守り、去っていった強者達がいたのだ...


看板はしっかりしてたが訪れる人は?
 

本丸跡
 

入口に立っていた大道城趾の歴史が書かれた看板

 帰りに足谷集落を通るときに新しい家が建っていることに気づいた。大きな表札に「あしたに山荘」と書かれている。「桑 de ルネッサンス」とも書かれていた。
 目的は分からないが、楽しいことをやっている人達がここにもいるようだ。がんばれ若者達。いや?意外と金と暇と体力がある中高年達かもしれない。


足谷集落の中のあった不思議な建物
 

「あしたに山荘」とあった