漆山岳



真冬のように樹氷をつけた漆山岳の頂上(2006年3月21日撮影)

所在地飛騨市神岡町
西漆山 アプローチ41号線猪谷と神岡の間
西漆山標高390m
漆山岳標高1393m
標高差単純1003m
沿面距離片道3Km
登山日2005年3月21日
天 候
同行者単独
コースタイム 西漆山林道(3時間30分)漆山岳<休憩1時間5分>(1時間)西漆山林道
合計5時間35分<休憩1時間5分含む>


 今冬の国道神岡線(41号線)で唯一残していた山であった。3月に入ってから雪解けが進み、今年はもう行くチャンスがないと思っていた。
 だが、中旬に入ってから気温が下がり何回か雪が降った。少しぐらい藪漕ぎが入っても残雪を拾っていけばなんとかなるだろう山行きを決心した。


国道41号線から橋を渡れば西漆山集落
遠くに見える左の尾根からとりつく

林道を見つけ車を乗り入れ、工事関係の人に
ことわって途中の広場に車を停める
 前日は熱があり、山行きは諦めていたので準備は何もしていなかった。体調を確かめたりしながら支度をして家を出たのは9時だった。
 東漆山手前で41号線を離れ、高原川に架かる赤い橋を渡る。西漆山は民家が20軒ほどの小さな集落だ。昔は漆の採取に人が入ったらしく、それが集落の名前の由来のようだ。
 駐車場所を求めて車を進めるとすぐに村の外れにつきあたってしまう。引き返すと山に延びている林道があった。


この堰堤手前で沢を渡り左斜面にとりつく
 

斜面を登り切り、尾根から林道を見下ろす
 
 林道は北に向かい、予定の尾根から離れていくが、ユーターンして戻ってくる。林道は整備工事中だった。途中にあった広場に車を停めてもいいか訪ねると快よく許してくれた。
 9時55分、身支度を終え、林道を行く。バックホーの運ちゃんも笑顔で見送ってくれた。
 林道は沢の堰堤で終わっていた。対岸に渡り、土手に取り付く。土手はキックステップも効かず、ブッシュに掴まりながら腕の力で登る。


この木は何という木だろうか?
 

30度以上の斜面が続く
 
 登り切った尾根は杉林で雪がたっぷりあり、藪こぎの心配はなくなった。少し登るとすぐに杉林が切れ、落葉樹の樹林帯になる。
 斜度が30度以上ありそうな斜面が続く。標高が上がるに連れて足首からスネ、スネからヒザへと雪が深くなる。標高700m付近で輪かんをはいた。
 沈み込みが減ったが急斜面では輪かんは歩きにくく、湿雪が絡んで足は重くなる。一長一短だ。750mあたりで斜面はいったん緩やかになるがすぐに急登に戻る。


右に大洞山と国道41号線 遠くに神岡の街
 

湿雪が新雪に変わっていく
 
 標高1100mで急登が終わり広い台地に変わる。いつの間にか廻りはブナの林になっていた。どの山も1000m以上はブナの天下となっている。
 右から杉の植林が尾根の中央まで伸びてきている。ソンボ谷の支流、水無谷からきているようだ。ソンボ谷は高原川の支流で中山集落から伸びてきている。
 無雪期はこちらを走っている林道を辿るルートもあるようだが、上部は相当の藪こぎを強いられるらしい。


正面下はソンボ谷の支流、水無谷
 

その右奥に池ノ山 中腹に軌道跡が見える
 
 ブナの木についた樹氷が太陽の熱でぱらぱらと落ちてくる。雪質は湿雪から新雪に変わっていた。輪かんでヒザ下ぐらいだが湿雪よりは歩きやすい。
 最後と思われる斜面を登り切ってい見ると大きな反射板が2基、立っていた。裏切られたような気持ちになった。
 反射板の右側に小高い丘のように見えるやや高い場所があったのでそこが頂上だと思い、リュックを置いてGPSとカメラだけ持って登った。


突然、反射板が現れる 邪魔な存在だ
 

だいたい反射板が向き合っているのも変だ
 
 だが、そこは頂上ではなく、さらに先の高いところがあった。そこまで行くと、いったん降った先にさらに高いところがあった。13時25分、頂上に立つ。
 頂上はなだらかな円形でほぼ360度見渡せる素場らっしい展望台だった。春翳みで遠望は効かないが北の小佐波御前からキラズ山、六谷山、池ノ山、跡津川を挟んで山之村、桑崎山や天蓋山も確認できる。
 眼下には国道41号線が神岡の街へと続き、その右に3週間前に登った大洞山が見える。その奥が流葉山だろうか?大きなアンテナの鉄塔が何本か見えた。


反射板より高い場所があるので先に進む
 

気持ちのいい新雪 遠くに池ノ山
 
 漆山岳には学者であり登山家である今西錦司さん(当時78歳)が昭和55年に登頂している。詳しくは橋本廣さんの「北越の山」桂親書に書かれている。今西さんが何を思って漆山岳に興味を持ったのか不思議である。
 案内人は橋本廣さんをはじめ、富山大学の教授や県自然保護課、毎日新聞、石川テレビ、立命館大学の方々等、総勢13人だったらしい。


頂上は2月の雰囲気だった
 

反射板まで戻って小宴会 キラズ山と池ノ山
 
 反射板まで戻り昼食。もちろん乾杯付きである。携帯で神岡の魔女に「たからや」のとんちゃん(モツ)の予約を頼む。神岡での事は何でも頼める頼もしい山中間である。
 お返しに何かしてあげた事があるのかと訊ねられると答えに窮する。剱岳に招待したことぐらいだろうか?


目の前の樹氷が気がつくと桜の花に見えていた
 

遠くに見えるのは跡津川から大多和峠
 
 見るともなく見ていた目の前の樹氷のついたブナの木がいつの間にか桜の木に変わっていた。キラキラと少しずつ落ちていく樹氷が散っていく桜の花のように見える。
 真っ白な雪山が桜満開の春の山に化け、息をのむような不思議な時間が流れた。これは変だと思ったとき、桜の木は樹氷のついたブナの木に戻っていた。


この山は子供のブナの木から老木まであった
 

スキーに格好な斜面も多かった
 
 14時30分、頂上を後にする。初めは雪も軽いが1100mから下の急降は腐った湿雪で歩きにくい。
 カンジキの裏に雪を貯めたまま滑るカンジキスキーが滑りすぎて、尻制動になる。下に硬い雪の層があるからだ。
 尾根を降りすぎてしまい、少し登り返してから土手を下り、15時30分、林道に降り立った。


ここを降って沢へ降りる
 

西漆山から踏切を渡って41号線へ
 
 漆山岳はマイナーな山だが素敵な山だと思う。あまり話題に上らないのは何故だろう?長い急登が嫌われているのかもしれない。
 工事は半日でやめたらしく誰もいない林道を降り、車に戻る。身支度を解き、トンチャンを求めて神岡の街へと車を走らせた。


上山時、電池切れで1050mから1150あたりが直線になっているが実際は下山時(青色)とおなじコースを歩いている。下山時に尾根を降り過ぎて沢に降りられなく、少し戻った。

今西錦司(1902〜1992)さんは自然科学と社会科学を融合させた理論を発表し今西学と言われるほど独特の理論を展開した学者だった。
 特に面白いと思ったのはダーウィンの進化論に異を唱え、「最適者が自然界で選ばれて残るというだけではおかしい。運がいいことも必要な要因だ。」というような理論を展開したことだ。痛快である。
 京都大学教授、岡山大学教授、岐阜大学学長を歴任するかたわら日本山岳会会長を務め、生涯を通じて登った山は1552座である。そのうちの1座が漆山岳だった。