松尾峠〜新湯地獄〜千寿ケ原 |
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所在地 | 富山県立山町、富山市 | |
追分登山口 | アプローチ | アルペンルート弥陀ヶ原駅下車 |
登山口標高 | 1930m | |
下山口標高 | 475m | |
標高差 | 単純△1455m 累積(+)360m 累積(−)1815m | |
沿面距離 | 22.3Km | |
登山日 | 2007年9月1日 | |
天 候 | 晴れ | |
同行者 | 長勢、みわ | |
コースタイム |
弥陀ヶ原(50分)松尾峠(1時間5分)湯谷(1時間50分)新湯地獄<入浴休憩2時間10分>(1時間15分)立山温泉<泥鰌池往復休憩30分>(3時間25分)千寿ケ原 合計11時間5分<休憩2時間50分含む> |
立山温泉は江戸時代1600年代にはすでに開湯されていたようで、いくつかの文献に登場している。温泉に行くには千寿ケ原から弥陀ヶ原まで登り、松尾坂を降るのがいっぱん的だった。 安政5年の大地震による大鳶崩れでいったんは埋没してしまったが、明治10年に復興している。 ウォルター・ウエストンは2度もここに宿をとり、松尾峠越えで立山登山をしている。「剱岳・点の記」で有名な柴崎芳太郎もここを拠点に剱岳の測量を行った。 大正12年に槇有恒一行が厳冬期にこの松尾峠で遭難した話も有名である。 |
昭和30年代にはいって立山温泉を訪れる人が少なくなり、湯川谷の道が荒れ、40年代には松尾峠の道も廃道となってしまった。 そんな伝説を秘めた松尾峠の道が昨年復活した。砂防工事の水谷出張所の緊急避難路として再整備されたのである。 |
ウエストンや柴崎芳太郎、槇有恒等が歩いた松尾峠をたどってみたい。あの絶壁のどこを通っているのか確かめたい。 ロマンに満ち満ちた松尾峠道。はやる気持ちを抑えてオロロのいなくなる9月を待った。 |
湯谷に降りれば新湯地獄も近い。温泉巡りもコースに盛り込む。ザラ峠に向かわず、一気に千寿ケ原まで降りれば日帰り出来る。この計画に長勢が友人を連れて参加してきた。友人とはご近所の飲み友達(らしい)のミワさん。 お盆に行ってきたBOWの情報によれば、新湯に東京テレビの取材が入って、河原に穴を掘った岩風呂が出来ているらしい。これも楽しみだ。 |
立山駅6時40分のケーブルに乗り、美女平でバスに乗り換えて弥陀ヶ原に着いたのが7時30分だった。千寿ケ原から50分で行ってしまう。 弥陀ヶ原駅で水を補給し、身支度を調えて7時40分出発。木道を降り、追分から松尾峠展望台への遊歩道に入る。 |
展望台の手前に松尾峠への分岐点があった。標識があり「砂防工事用の避難路のため一般の方の通行はご遠慮願います」と書いてある。 見なかったことにする。ここまで来て帰る訳にはいかない。それに昨年の「山渓」だったか「岳人」の紹介では、通れるかどうか確認したら「自己責任で通行してください」と言われたとあったはずだ。 |
途中にいくつもあった標識は避難路用のものではなく、登山者を意識したきれいなものだ。木道も避難路とは思えない立派なものだ。 もし、一般登山者の通行を制限し出したとしたら何か不都合な事があったのかもしれない。確かに工事現場に一般の人がうろうろされたら邪魔である。 事故があって攻められるのは工事関係者達である。よく解かる。が、断ちがたい思いが理性に勝った。 |
いくつかの急降に金属の簡易梯子がかかっていた。途中でスイッチバックのレール跡を何回か横切る。急降が終わったところが松尾平らしいが灌木に覆われて確認できなかった。 最後の梯子を降ると湯谷である。広い河原は重機の音が響き渡り、まるでダムの工事現場のようだ。 工事現場の監督のような人に一言注意される。が、戻れとは言われなかった。ダンプに注意して行くようにとの暖かい言葉だった。 |
ダンプが来たら必要以上によけてやり過ごす。いつになく、しおらしい。だが運転手はそれほど気にしているようには見えなかった。 工事をしている人達もほとんど無関心のようだ。中にはどこまで行くのか聞いてくるものもいる。気にしているのは責任者達だけかもしれない。 |
工事現場を離れてひとますホッとする。林道の終点が右岸だったのでそのまま右岸を行く。新湯は左岸なのでどこかで徒渉しなければいけない。水量が多いので徒渉箇所が難しい 上から二つ目の堰堤の手前で行く手を阻まれた。肩を組んで渡れば行けそうだが(後半の長い林道歩きを考えると)足を濡らしたくない。 大きな岩が並んでいるところを飛び越えた。3m下は激流だ。ミワが心配だったが飛び越えた。歩き方もそうだがセンスがいい。 |
この堰堤は右(左岸)から高巻く。250mほど行くと最終堰堤となりここも右から高巻く。上部に残置ロープがある。 新湯は最終堰堤からは100m程なのだが行き詰まる。岩がそそり立っていてへつることも出来ない。土手を登って高巻く事にする。 垂直に近い土手も埋もれた岩がいくつか露出しているのでそれらを利用して登る。長勢が持ち込んだ5mmのザイルをダブルで垂らす。そのザイルでよじ登ったミワは腕力もありそうだ。 高巻いたら降りなければいけない。これが(草に覆われて視界が悪く)意外と難しい。なんとか降りられそうなところを探してザイルで降りた。 |
岩角を曲がると目の前に新湯があった。二度目の新湯だ! あることは解っていたのにちょっと感動してしまった。 時間は11時25分。すぐにビールを出して乾杯。なんとなく食欲がなく、つまみとビールだけでお昼を済ませる。 |
少し上流から高さ10mほどの壁を登る。残置ロープもあり簡単だ。そこから下流に10mほどヤブを漕ぐと新湯だ。 新湯の淵に出てから左に5mほど回り込むと草のはえていないガレ場に出る。新湯の後ろに山も見える絶好のビューポイントとなっている。 |
いったん戻ってから新湯の落ち口まで行ってみる。下から見たときは登れそうになかったが上から見たら小さな手がかりや足がかりが沢山あり降りられそうだ。 降りてみたら簡単だった。次回からはこちらから上ることにする。降りてすぐに入浴タイムにはいる。湯加減は39度前後で最高の湯加減に時間を忘れてしまった。 |
13時35分、新湯を出発する。2時間以上いたことになる。だがこの時点ではまだ時間の心配はしていなかった。と言うより、まったく時計を見ていなかった。 高巻きを登り、そして降り、岩を飛び越え、工事現場まで戻る。遠慮しながら道路を歩き、立山温泉まで降った。 |
林道から右に入って立山温泉跡に寄る。ここには休憩所とトイレがある。せっかくなので泥鰌池まで見学に行く。 安政の大地震の大鳶崩れで出来たと言われる泥鰌池は鱒が放され、小さな遊覧船もあったという。 今は訪れる人も少なく、神秘的な湖面に山陰を写しながら静かにたたずんでいる。 |
立山温泉跡から林道に戻り、100mほど降るとまた右に入る道がある。温泉噴出口と書かれた標識がある。これを見落として真っ直ぐ行くと大変だ。 歩道から整備された道を15mほど入ったところに噴泉がある。3mぐらい吹き上がっている。手に当ててみるとかなり熱い。 |
広い河原に出ると立派な橋がある。渡ってトンネルを抜けると水谷出張所だ。橋のたもとに(対岸の)露天風呂(天涯の湯)がある。以前は男湯だけだったが今は女湯もある。 ここから降った林道は白岩堰堤で終わっている。日本一の高さを誇る白岩堰堤はガスがかかっていて下流を見ることが出来なかった。 その横にある昔のインクライン跡の階段を降りる。降りてから千寿ケ原まで長い林道歩きとなる。時間は4時を過ぎていた。時間の計算をしていなかった事に気づく。 |
千寿ケ原近くで長勢がミワに温泉での写真を大猫に送るとか送らないとか言っている。ぼかしてとか、網掛けでとか、言っていることが不穏だ。 「えっ?、彼が(大猫が)時々叫んでいた女性はこの人(ミワ)?」 「そう、です」 「.....送るな! 殺される」 だが、写真は撮られた時点で負けが確定する。BOWのサイトでも、それは照明された。どうなる事やら... |
暗くなってきた林道の先に明かりが見えてきた。千寿ケ原だ。右足の小指に豆が出来て痛い。18時45分、千寿ケ原の駐車場に戻った。 今回は時間の設定があまかった。と言うよりほとんどしていなかった。初めから楽勝のコースだと思っていた。だが実際は時間を要するコースだった。 それなのに計算もせずに新湯では2時間以上も時間を潰す。ミワが普通の女性だったら戻るのが20時を過ぎていたかもしれない。 |