八ヶ岳(赤岳) |
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所在地 | 長野県茅野市、富士見市、 | |
登山口 | アプローチ | 茅野市原村から美濃戸口へ |
登山口標高 | 1490m | |
標 高 | 2899m | |
標高差 | 単純1409m 初日1250m 2日目170m △1410m | |
沿面距離 | 初日7.5Km 2日目8.2Km | |
登山日 | 2008年2月9日〜10日 | |
天 候 | 9日:晴れ後雪 10日:晴れ | |
同行者 | 山岸、星野夫妻、藤原、石塚、ken、長勢、岩城、BOW | |
参考コースタイム 山と高原地図(旺文社) |
美濃戸口(1時間)美濃戸(2時間)行者小屋(1時間30分)地蔵の頭(45分)赤岳(1時間)阿弥陀岳コル(50分)行者小屋(1時間40分)美濃戸(1時間)美濃戸口
合計9時間45分 | |
コースタイム |
美濃戸口(1時間5分)美濃戸<休憩15分>(2時間35分)行者小屋<休憩30分>(1時間30分)地蔵尾根<休憩20分>(5分)赤岳展望荘 合計6時間20分<休憩1時間5分含む> --------------------------------------- 赤岳展望荘(35分)赤岳頂上<休憩他40分>(30分)文三郎尾根分岐(50分)行者小屋<休憩35分>(1時間20分)美濃戸<休憩35分>(40分)美濃戸口 合計5時間40分<休憩1時間45分含む> |
2月9日 |
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今回の八ヶ岳(赤岳)は栂海新道を歩いたときからの約束のような山だった。「ような...」と言うのははっきり約束した記憶がないからだ。 だが現実はそのように動いている。約束したのかもしれない。 |
遠くからの参加者や、やや高齢の方もいらっしゃるので赤岳展望荘泊まりとする。時間的には余裕のある行程となった。 富山、金沢混成チームは4時半、笹津の第二ダム出発とする。人の車に乗ると遠足に行くような楽しい気分になれる。 |
神岡で41号線から471号線に乗りかえ、安房トンネルを抜ける。松本近くになってようやく空がしらみ始めた。 松本ICから高速に入り、諏訪SAで休憩を入れ、朝食をとる。美濃戸口を8時半に待ち合わせたので時間調整の意味もあった。 |
諏訪南ICで降りて美濃戸口を目指す。今回は明るいし、諏訪南ICからは解りやすい一本道だ。予定通り8時半に到着。 駐車場には大阪から参加の藤原と、その友人の石塚が待っていた。駐車場は2段になっていて経営者が違う。上の方が安くて500円で下が1000円だ。何か変だ。 |
9時5分、美濃戸口を出発する。美濃戸まで車で入っている人達もいるが無理はしない。歩いても1時間だ。(山岸から美濃戸まで車で入ったとの連絡有り) 林道は車1台分の幅しか除雪されていないので、車が来る度に道路脇の雪の中に足を突っ込む。 |
10時10分、美濃戸山荘に到着し、休憩を入れる。大きなストーブの上にお湯をはった鍋があって牛乳を温めている。 美味しそうなので1本(200円)買った。これが暖まっていなくて、がっかりだった。10時25分、出発。 |
左の北沢の林道をたどれば赤岳鉱泉小屋へ行く。右側の南沢の登山道に入る。初めは沢を何回か渡るが途中から右岸を行く。それもかなり高いところを行く。 南沢は上流の方が河原が広い。広くなった河原に降りて、そのまま河原を行く。登山道なのか冬限定の道なのか分からない。 |
13時ちょうどに行者小屋に着いた。途中で休憩を取ったので、ちょっと遅れ気味だ。雪と風が酷くなってきたので防寒具をまとう。ここからは本格的な冬山だ。アイゼンもはいた。 行者小屋を左に巻くと、20mほどで分岐となる。左に行けば赤岳鉱泉小屋だ。右側の地蔵尾根へ入る。 |
踏み跡は雪が柔らかくてアイゼンが効かない。履いていない方が足が軽い分だけよかったかもしれない。 稜線直下の細尾根は両側が切り立った雪庇で踏み跡も消えていた。どちらを歩いたらいいのか分からない。雪庇のトップにピッケルを突き立てながら左側にステップを切った。(それでよかったらしい) |
15時25分、赤岳展望荘に到着する。展望荘には山岸と星野夫妻が待っていた。天狗岳から横岳を縦走するのをやめて地蔵尾根にしたとのこと。 夏道でも嫌なところが連続している尾根なので、無理をしなかったのだろう。 |
夕食まで待ちきれず、談話室で宴会が始まる。山岸持参の越乃寒梅の一升瓶がすごい。そして、それをリクエストした藤原もすごい。 缶ビールと日本酒だけで酔ってしまい、持ち込んだウイスキーは手つかずとなった。お腹もいっぱいになって夕食のバイキングも手つかずだった。 |
個室には暖房が入っていない。夕食後、宿泊客の全員が談話室に集まって来る。思い思いに場所を占拠して布団にくるまる。 部屋は雑魚寝状態でどちらが足でどちらが頭か分からない様な状態になっている。我々の所だけテーブルを囲んで宴会を続けている。 宴会が終わってみると皆が寝るスペースがない。個室に戻って布団を引いて寝た。寒い部屋だった。 |
2月10日 |
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朝6時に目が覚める。部屋の中のリュックに付いた雪は粉雪のままだ。室温は氷点下らしい。(外は氷点下18度との事だった) 一晩中吹き荒れて小屋を揺すぶっていた風も弱まっている。停滞させられる心配はなさそうだ。 |
赤岳天望荘は食堂と宿舎が別れていて地下道で繋がっている。その地下道の上が登山道となっている。 泊まってみて前回(2007年10月28日)の疑問が解けた。食堂から降りた所にトイレと乾燥室があり、地下1階の宿舎がある。 宿舎を突き当たりまで行って階段を上がると地上1階の宿舎となる。それを折り返してきた突き当たりが談話室となっている。談話室と食堂の間が登山道だ。 食堂と談話室は目と鼻の先だが歩くといちばん遠い距離となっている。 |
この小屋は朝食もバイキングだった。これはしっかり食べた。味噌汁はお代わりをした。珍しく2日酔いじゃない。 調子の悪そうな人もいたが、2日酔いじゃなく、軽い一酸化炭素中毒だったのかもしれない。(この翌日に談話室に寝た人達が中毒でヘリコプターで病院に搬送されている) |
8時25分、赤岳展望荘を出発する。気温はマイナス15度で風速は10〜15m。3000mの山としてはそれほど酷い天候ではない。 稜線の雪は風で飛ばされて岩の出ているところも多く、歩きやすい。斜度がないだけ西穂よりも安全だ。右からの風に耐えながら登り切った。 |
天候が回復してきて東側下方に原村が見え、富士山もかすかに見えはじめる。それでも相変わらず風は強く雪煙が舞う。 次から次へと登山者が登ってきて、頂上は人でいっぱいになってくる。9時40分、追い出されるようにして頂上をあとにした。 |
赤岳の文三郎尾根側の降りは、ちょっとした雪と岩のミックスとなっていて、緊張感が漂う。クサリ場のクサリも一部雪に埋もれている。 文三郎尾根と阿弥陀岳の分岐まで全員、無事に降りて、とりあえずホッとする。 |
長い文三郎尾根は新雪に飛び込んで駆け下りる。その方が早いし、登りのステップを壊さなくてすむ。 文三郎尾根からのぞむ赤岳主稜は思っていたよりすっきりしていない。下半分は灌木帯のラッセルで上半分が岩と雪のミックスとなっている。 切り立ったイメージはなく、ゆるんでいるような感じで上部はさらに斜度を落としている。気負ってくると肩すかしをくらうかもしれない。 |
行者小屋に戻ると懐かしい顔が待っていた。今回の山行きにメールの手違いがあり、1日遅れでやってきた岸である。 中嶋はちょっと遅れていて、もうすぐ登ってくるという。本来ならいっしょに登っているはずだった。 |
行者小屋の前でアイゼンをはずし、防寒具もぬいだ。あとはなだらかな雪道を降るだけだ。ストックとピッケルもリュックに縛り付ける。 11時30分、岸と中嶋に別れを告げ、行者小屋をあとにする。もう緊張感もなくだらだらと降った。 |
12時50分、美濃戸山荘にもどりビールで乾杯。今日は運転手が2人もいる。やはり遠足気分だ。 14時5分、美濃戸口までもどり、山装備を解く。あとは温泉につかって帰るだけだ。山岸チームは群馬へ、藤原チームは大阪へ帰っていく。2008年の冬の赤岳は終わった。 |