鍬崎山



幕営地に戻って鍬崎山を振り返る(2008年1月27日撮影)

所在地富山市旧大山町
ゴンドラ登山口 アプローチ富山市より車で50分
登山口標高1188m(ゴンドラ山頂駅)
標   高2090m
標高差単純902m 26日累積727m △171m
27日累積443m △1626m
沿面距離26日4.3Km 27日8.3Km
登山日2008年1月26〜27日
天 候26日曇り時々雪 27日曇り後晴れr
同行者長勢
参考コースタイム
とやま山歩き(シーエーピー)
山頂駅(40分)瀬戸蔵山(40分)大品山(3時間30分)山頂(2時間)大品山(1時間10分)山頂駅
合計8時間
参考コースタイム
富山県の山(山と渓谷社)
山頂駅(40分)瀬戸蔵山(40分)大品山(2時間)独標(1時間20分)山頂(50分)独標(1時間25分)大品山(35分)瀬戸蔵山(30分)山頂駅
合計8時間
コースタイム山頂駅(40分)瀬戸蔵山(50分)大品山(2時間55分)独標【1756m】(5分)幕営地 合計4時間30分

幕営地(1時間35分)頂上<休憩20分>(30分)幕営地<休憩1時間30分>(1時間5分)大品山(1時間5分)粟巣野スキー場<休憩20分>(15分)山麓駅 合計6時間40分<休憩2時間10分含む>


1月26日

 鍬崎山に初めて登ったのは2003年4月だった。2004年3月が2登目で2年後の2007年2月12日が3登目だった。
 その時、次は1月に登ると決めた。4月、3月、2月という順番で登ったのだから次は1月だという単純な理由からだった。たいした意味はなかった。


ゴンドラ山頂駅8時20分出発

 

千寿ケ原と大辻山をのぞむ

 
 1月の休日も最後というときに長勢から誘いが入る。降雪が続いていて迷っていたところで背中を押された感じだ。すぐに返事する。
 1日速くスタートすると言っている。人のトレースをたどっても意味がないので日程を合わせ、26日にいっしょにスタートすることにした。


瀬戸蔵山から来拝山、富山平野、日本海をのぞむ

 
 テントセット一式(テント、シュラフ、マット等)と2日分の食料を詰め込むとリュックは15Kgを越える。
 8時過ぎのゴンドラに乗って山頂駅へ向かい、8時20分、山頂駅を出発する。数日前のトレースがあり、これをたどる。
 このトレースに助けられて9時50分、大品山三角点に到着する。トレースはここまでだった。


鍬崎山は雲の中

 

大品山が頭を出す

 
 トレースはありがたい反面、面白みに欠ける。足跡のない雪原を行くのが雪山の醍醐味だと思う。この先まで続いていたら嫌になるところだった。
 ラッセルは膝前後。リュックの重みもあるのだろう。時間は充分にある。体力を消耗しないようにゆっくり行く。


日が差し始める

 
 大品山からの降りは初めはなだらかに降り、いったん平になってまた降る。中程から急降となり、コルに達する。
 右側が広いので間違えるとコルの南側へ降りてしまう。左側は真川へ切れ落ちているのでそちらを意識しながら降るといい。


独標手前の急登

 

独標手前の急登

 
 コルからはやや長い登りが続き、左に曲がるとなだらかになる。大きな立山杉のあるところから短い急登を登り切ると尾根は不明瞭になってくる。
 左側にうねったように支尾根が拡がり、視界が悪いときの降りは嫌なところとなる。(4年前は間違えて和田川の方に降りていた)


明日はここを行く

 
 小さなコルら200mほどの急登を真っ直ぐ登り切り、だらだらと行くと、独標下の細尾根となる。
 最初の5mほどの急登はストックを束ねて雪を抑えながらアンカーにもする「池原式急登登り」で行く。
 登り切った後同じような斜面があり、ここも同様に登る。その後のやや斜度の落ちた細尾根を20mほど登ると独標となる。


独標を越えたところで雪庇を利用して

 

雪洞を掘りテントを張る

 
 独標からなだらかに降り、コル手前で幕営することにした。時間は12時50分。高さ2mほどの垂直の雪庇で、その下は平になっている場所を見つける。
 風は避けられるし、雪洞は掘りやすい。と、思ったのだが1mほど掘り進んだ先は堅かった。一気に掘るのをやめ、ビールを飲みながら掘った。


雪洞を大きくするのをやめて横に入口を掘った

 
 1本しかなかったビールは雪洞を掘っている間になくなっている。夜はウイスキーの水割りで過ごす。長勢は日本酒だ。
 長い夜だと思っていたのにいつの間にか眠っていた。夜、上半身が寒くて何度も目が覚めた。シュラフもシュラフカバーもしっかりチャックを閉めていなかったからだろう。
 何時頃か分からないがホッカイロをひとつ、懐に入れた。ホッカイロは雪山には欠かせないツールとなっている。


 

 
1月27日


 5時半にセットしてあった腕時計がなる。夜、雪洞の中のテントにもサラサラと雪のあたる音がしていた。寒い朝だ。
 長勢は氷点下14度だと言っている。テントの内側についた結露がパリパリに凍っている。
 お湯を作り、紅茶にしてテルモスをいっぱいにする。次に焼きそばを作る。半分も食べないうちに気持ちが悪くなってくる。飲み過ぎたか? 無理矢理、喉に押し込んだ。


7時20分、頂上に向けて出発

 
 7時20分、テントはそのままに、必要最小限のものだけ持って頂上に向かう。いきなり膝上のラッセルだ。
 短く切ってラッセルを交代する。大きく左に曲がっていき、1880mの小ピークで右に戻る。


ラッセルは早めの交代を心がける(長勢撮影)

 
 しばらく真っ直ぐに行ったあと今度は大きく右に曲げていく。このあたりは最後の急登だ。ややなだらかになったところから左にコースを変えて登り詰めたところが頂上だ。
 時間はまだ9時前だ(8時55分)。氷点下16度。乾杯する酒もなく、ただ立ちつくす。


8時55分鍬崎山頂上に立つ

 

雪庇で広くなった頂上の彼方に富山平野

 
 日が差し始めた時、細い光の線が目の前を斜めに走っていった。風に流されるダイヤモンドダストだった。
 チラチラと落ちてくるのはよく見るが、風に乗って切り裂くように流れていくのは初めてだった。


南西尾根に日が当たる

 

北西尾根を振り返る

 
 先へと続く南東尾根のうねるような雪庇がなまめかしい。ここをたどると大坂森山から有峰に抜けるはずだ。ダムの上が歩けるならダムの左岸から大多和峠を越えて41号線の土集落に出られる。
 だが雪が多いとダムの上は危ないだろう。右に落ちても左に落ちても命はなさそうだ。


南東へと続くこの尾根をいつかたどってみたい

 
 9時15分、頂上を後にする。急なところは新雪に飛び込み30分で幕営地まで戻る。戻って振り返ると鍬崎山の上には青空が広がっていた。
 もう少し頂上にいればよかったと2人で悔しがる。だが、もう登りかえす気力はない。


モンスター(と言うよりエイリアン?)の奥に鉢伏山

 

標高1800m当たりを降る

 

標高1700m当たりを降る

 
 テントを撤収して早めの昼食をとる。ビールが欲しい...「水を注げば出来上がり〜」みたいなビールがあったら売れるでしょうね。
 食後のコーヒーにキスチョコが美味しかった。


テントを撤収してコーヒータイム

 

テント撤収後の雪洞

 
 11時15分、幕営地を出発。いつも思うのだがリュックは軽くなっても小さくはならない。昨日の朝よりふくれあがっている。
 いや、テントが濡れた分、重くなっているかもしれない。


雪洞に戻った頃から青空が広がる

 
 独標まで登り返し、細尾根を降る。その後の急降でアクシデント発生。スノーシューで滑り降りて横向きに止まったのが失敗だった。
 真っ直ぐの姿勢で止まれば15Kgのリュックは、その重さを体で受け止められたのだが横向きだった。
 リュックは止まらず、右前方に体を引っぱる。こらえきれずに右の真川側に後ろ向きに飛ばされた。
 逆さまに背中から落ちると簡単には止まれない。数メートル落ちて左手に当たったものを無意識で掴んだようだ。
 直径3cmほどの灌木だった。これで体は一回転して足が下方向に向いて止まった。左手は灌木を握っていた。


雪でまっ白になった弥陀ヶ原高原と大日連山

 
 そこからトラバースして尾根にもどる。最後の小さな雪庇は長勢にリュックを上げてもらい、3本の灌木を利用してはい上がった。
 カメラを落としたのに気づき取りに戻ったのはおまけ。歩きながら少しずつ、左膝に違和感を感じ始める。


大辻山、七姫山、臼越山、手前に美女平と下ノ小平

 
 長い一直線の急降を降ったところで1人のスキーヤーに出会う。「行けるところまで」と言っていたが頂上まで行くつもりだろう。
 その次に出会ったのが岩城だった。彼ももう少し行ってみると言う。粟巣野スキー場で会う約束をして別れた。
 大品山へ登り返す頃から左足が痛み出す。変な方向にひねると激痛が走る。そうなると力も入らなくなり、妙なところで簡単に転ぶ。


粟巣野貯水池

 

13時20分、粟巣野スキー場に戻る

 
 大品山からは足に無駄な力を入れないように丁寧に降りる。
 いくつもに分岐している尾根の降りは難しい。富山ハイキングがこの尾根の降りで間違えたのは昨年の春だった。
 今回は沢山のトレースもあり(信用してはいけないのだが)視界もよかったので間違えずに降る。13時25分、粟巣野スキー場ミレット前。


スキー場のミレットと大辻山

 

車に前日の雪が積もっていた

 
 しばらく岩城を待ったが、こちらが速く降り過ぎてしまったようだ。携帯にメールを入れることにしてゴンドラまで歩く。
 ゴンドラについてチケット売り場(登山届けを出したところ)の3人のお嬢さん達(民子、明美、弥寿子)に下山の報告に行く。
 このころには、もう左膝は曲がらなくなっていた。



 
後日談:八ヶ岳の計画もあり、大事を取って翌週は山を休んだ。休んだといえ
      ば格好がいいが、足が痛くて平地でさえまともに歩けなかった。