立山温泉新湯 |
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所在地 | 富山県立山町、富山市 | |
追分登山口 | アプローチ | アルペンルート弥陀ヶ原駅下車 |
弥陀ヶ原 | 1930m | |
立山新湯 | 1600m | |
立山室堂 | 2430m | |
6日標高差 | 累積(+)380m 累積(−)710m 沿面距離5.4Km | |
7日標高差 | 累積(+)1370m 累積(−)550m 沿面距離8.3Km | |
登山日 | 2008年9月6日〜7日 | |
天 候 | 6日曇り時々雨 7日曇り一時晴のち雨 | |
同行者 | 橋本、岩城、松田、マキちゃん、BOW | |
コースタイム |
6日 弥陀ヶ原<途中休憩7分>(43分)松尾峠<途中休憩20分>(1時間25分)湯谷<途中休憩40分>(1時間30分)立山新湯 合計4時間45分<休憩1時間7分含む> 7日 立山新湯<途中休憩20分>(4時間)ザラ峠<休憩10分>(1時間5分)獅子岳<休憩15分>(1時間7分)浄土山分岐<休憩20分>(23分)一ノ越<休憩50分>(20分)室堂 合計8時間50分<休憩1時間55分含む> |
立山温泉を経由して立山登拝するときに使った松尾峠。槇有恒が岳友板倉勝宣(いたくらかつのぶ)を吹雪の中で失った松尾峠。 松尾峠から立山温泉を通る登山道は芦峅寺を通らない。芦峅寺の収入が減るので松尾峠の登山道を通行禁止にするよう加賀藩に陳情した話は有名である。 また、ザラ峠は富山から長野に抜けるときに一番標高の低い峠であり、戦後まで登山道があった。 佐々成政が天正12年(1584年)、厳冬期にザラ峠を越えて浜松の徳川家康に会いに行った話も(信憑性に欠ける?)有名である。 松尾峠とザラ峠は歴史とロマンに満ちた峠道である。今回はその2つを繋ぎ、途中、立山新湯でビバークするという贅沢な計画である。 |
9月6日 |
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初日の核心部は砂防工事現場だ。大型トラックが行き来しているので邪魔にならないようお昼休みに通過することにする。 立山駅にゆっくり8時に集合して8時20分のケーブルに乗る。弥陀ヶ原には9時に到着する。弥陀ヶ原ホテルでまったりとコーヒーをいただく。 |
9時40分、弥陀ヶ原ホテルを出発。時間があるので弥陀ヶ原散策路を経由して松尾峠散策路へとはいる。途中10分の休憩を入れて10時25分、松尾峠への分岐。 関係者以外立入禁止の看板は見なかった事にする。昔からあった皆の登山道を特定の人以外通さないと言うのは納得できない。 |
松尾峠から松尾平までの急降は草が生い茂っていて歩きにくかった。松尾平からの降りで古い軌道跡を3回横切る。スイッチバックで走っていたようだ。 工事の邪魔にならないよう12時20分、湯川に降り立って15分で工事現場を通り抜けた。 |
湯川の溯行は靴を濡らさないようにしようとするから、飛んだりはねたりするだけで、難しくはない。真ん中が崩れた石垣の堰堤から2番目の堰堤まで右側から高巻く。 最終堰堤は右から固定ロープを利用して登る。そこから100mほどで立山新湯だ。 |
立山新湯は直径30mほどの池になっていてお湯の温度は約70度。安政5年(1858年)の飛越地震前は普通の冷たい池だった。別名「新湯地獄」の所以である。 この池の底には「オパール」の一種の「玉滴石」が眠っている。明治末にかけて「玉滴石」の採掘者が湖岸を深く掘ったため湯が流れ落ちるようになった。 それ以前は現在より湖面が5mほど上にあったという。 |
3度目の立山新湯。ビバークテントの横、数メートルに露天風呂の温泉があるなんて、全国でもそんなに多くはないはずだ。 温泉と山が好きな人達にとっては、たまらない垂涎の秘湯となっているに違いない。 |
ツエルトを張って寝床を確保した後、皆は温泉に飛び込んだ。温泉より宴会が好きなので勝手に1人で乾杯して、厚揚げと薩摩揚げを炒める。薬味に葱と生姜は欠かせない。 やがて宴会と温泉が行き交ってボルテージが上がり、無法地帯へと化していく。まるで男しかいないような... (女性は最後まで水着を放しませんでした)←彼女たちの名誉のために一言 |
真夜中に温泉の縁に座って飲んでいるうちに眠ってしまい、バック転で温泉の下に落ちてしまった。高さは1m。 岩だらけなのに「怪我がなかったのは酔っていたから」と皆から妙ななぐさめ(説明)を受ける。右腕に少し擦り傷を負っていたんですけど... |
9月7日 |
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テントを張れば2日酔いというのは定番だ。それでも何とか起き出して朝飯を作る。食欲はない。ラーメンだけ。 朝風呂を浴びたのは約1名。皆の昨日の勢いは何だったんだ? 燃え尽きたか? テント(ツェルトとターフ)を撤収して7時10分、出発。 |
湯川の溯行は昨日の続きだ。登るにつれ徐々に水量が減ってくる。2年前の大きな雪渓は今回はほんの少し残っているだけだった。 ここからガラ場が始まる。初めてのマキちゃん、BOWは真ん中を行く。当然滑る、崩れる、上がれない。草付きの横が登りやすいことを教える。 |
ガラ場の歩き方は静かに、垂直に体重をかけ、ゆっくり登ることだ。足場に大き目の石を選ぶことも有効。 それでも滑るときは滑る。タタミ1枚分ぐらいの広さで全体が滑ることもある。そういうときはお手上げだ。止まるまでいっしょに滑るしかない。 |
登るにつれガラ場がザラ場に変わっていく。広いのでガスがかかったとき方向を見失いやすい。今回もやや右の方に行きかけた。 峠の真下は草付きだがその下はハンノキやハイマツの藪になっていて歩きにくい。それで右のザレ場にいってしまうようだ。 |
11時30分、ザラ峠を登り切る。室堂発の終バスは17時。大丈夫だとは思うが、もう少し安全地帯まで進んで昼食を取ることにする。それに風の通り道でもあり、寒い。 登山道は歩きやすい。雪道のラッセルから最後尾に廻ったような感じだ。獅子岳の登りて雨が降りだす。本降りとなり、雨具を着る。 |
雨とガスの中、昼食のことは忘れてひたすら歩く。「一ノ越山荘まで行けばビールがある」を合い言葉に... 14時50分、一ノ越到着。ビールで乾杯して小屋の前で遅い昼食を作る。長崎チャンポン麺。と、そこへネギちゃんが単独で登ってきた。 「大汝避難小屋へ今年最後のご奉公」とは意味不明。多分、いい写真は撮れないと思うが、家でじっとしていられないのだろう。 15時40分、一ノ越を出発して16時、室堂に戻る。 |
松尾峠の登山道は整備された初年度は通行禁止ではなかった。中にある標識も木道も一般登山者用の立派なものだ。 通行禁止としたのは、山岳雑誌に紹介されて入山者が増え、工事現場の危険性が増したための苦肉の策なのだろう。 あの大きな通行禁止の看板に法的効力があるかどうかは不明。 |