金剛堂山 |
---|
所在地 | 利賀村 八尾町 | |
登山口 | アプローチ | 八尾町から大長谷の室牧ダムをさかのぼり栃折峠を超え利賀村百瀬のスノーバレー利賀スキー場へ。 |
登山口標高 | 750m | |
標 高 | 1638m(前金剛) | |
標高差 | 単純888m 累積登り948m 累積降り△60m | |
沿面距離 | 片道4.4Km | |
登山日 | 2010年1月20日 | |
天 候 | 晴れ後曇り | |
同行者 | 単独 | |
コースタイム | 登山口(1時間)栃谷登山道に合流(1時間)1346mピーク(1時間20分)金剛堂山頂上<休憩45分> 金剛堂山頂上(45分)1346mピーク(40分)栃谷登山道から分岐(25分)登山口 合計5時間55分<休憩45分含む> |
寝る時間が遅いと朝が辛い。遠くの山には行けない。仲間との約束があればそういうわけにも行かないのだが、単独行の意外な弱点だ。 家を出たのが8時過ぎだった。近くの山しかない。 |
多少、出発時間が遅くても、金剛堂山ならスノーバレー利賀のスキー場からリフトを利用すればいい。 ところが現地に着いてみると様子が変だ。駐車場に車がいない。だいたい駐車場の除雪が狭すぎるし、スキーセンターも変だ。 |
何が変だと言って一番変なのは人が誰もいないことだった。大きなスキー場が無人だと言うのはかなり不気味だ。 知らなかったが営業していないようだ。予定していたリフトが使えない。時間的にちょっと厳しいか? |
タイムリミットを14時として、9時40分、スキー場横の尾根から直接取り付く。一直線の急登が250m程続く。 登り切って右に曲がり、若干高度を下げてからグッと登り切ると、栃谷からの夏道に合流する。10時40分。ここまでに1時間もかかる。 |
夏道に合流してみると栃谷からのトレースがあった。風で吹きだまっている所もあるが、ないよりはずっとマシ。利用させてもらう。 頂上は楽勝に思えたが徐々にトレースが不明瞭となってくる。 |
11時40分、1346mピークに出る。ピーク手前に「一服金剛山」と書かれた標識があった。裏側には「片折岳」の標識がある。 この山には地元の人達(多分)が勝手につけたと思われる地名が沢山ある。その遊び心が楽しい。 |
1346mピークあたりからトレースが不明瞭になる。風で埋まってしまったようだ。 所々で現れるが無視。元々そんなものを期待していない。雪庇を警戒したのか、右に下がった灌木帯の中に見え隠れしている。 |
50m程降って残りは標高差約350m。時間はまだ12時前。頂上は楽勝だと思った。 だが、ここからが意外と辛かった。時間を気にして若干オーバーペースだったこともあるようだ。 |
立ち止まっては廻りの景色を眺めるのは疲れている証拠。風景を楽しみながら山歩きをするというタイプではない。 そういう楽しみ方はもっと先の(体力の限界を感じてからの)ことだ。 |
いままで目的地に見える木の大きさから距離を判断していた。その判断がくるったのは近そうに見えたブナの木が意外に大きかったからだ。 樹林帯を抜けてから頂上かと思われる(期待する)ような丸みをおびた雪面をいくつか越える。 |
13時、頂上に立つ。方位盤はおろか、高さ3mほどの祠も雪の下で見えない。行く先が降っているのを見て初めて頂上だと確信出来た。 風が強いので雪庇の下に降りて昼食をとる。乾杯のつまみは割り箸に刺して火であぶったコンビニのソーセージ、で仕上げはカップうどん。 |
中金剛に第10代富山藩主前田利保の歌碑が建っている。「飛騨信濃木曽の峰峰みな見えて西は残さぬ白木やまかな」 1853年(嘉永6年)に登頂した時に詠んで、翌年に歌碑を運び上げたとの事。自分で自分の歌碑を建てるのは珍しいのでは? |
疑問がひとつ。「西は残さぬ白木やまかな」だが、白木峰は金剛堂山の東側に見えるはず。 私の解釈が違うのか?それとも実際に詠んだ場所が違うのか?そう言えば金剛堂山から信濃の山が見えるのか? どうでもいいことだが気になる。悪い癖だ。 |
スキーセンターへ真っ直ぐに降りてクワッドリフト乗り場に行ってみる。スキー客で賑わっているはずの乗り場。 古里を廃村で失った者にとって、こういう風景が一番インパクトが強い。例え、人が生活していなかった観光施設であっても... |
15時35分、下山。思ったより早く帰れたのは途中のトレースに助けられたからだ。 トレースがないのもいいがあるのは助かる。単独もいいし仲間との山行きもいい。色々なものがあるのが登山だ。 そんな全てを楽しみながら山行きを続けたい。 |