夫婦山 |
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所在地 | 富山市八尾町 | |
小井波登山口 | アプローチ | 八尾町から久婦須川に沿って南下し、桐谷に入り、村の入口近くで右折。久婦須川を渡り、松瀬峠を超え、下ったところが小井波登山口 |
登山口標高 | 460m | |
標 高 | 784.1m | |
標高差 | 単純324m 累積360m | |
沿面距離 | 片道1.5Km | |
登山日 | 2010年12月21日 | |
天 候 | 曇り | |
同行者 | 単独 | |
参考コースタイム 富山県の山(山と渓谷社) | 小井波登山口(50分)松瀬峠(30分)男峰(20分)松瀬峠(30分)小井波登山口 合計2時間10分 | |
コースタイム |
小井波登山口(22分)松瀬峠(13分)女峰(6分)松瀬峠(14分)男峰<休憩50分>(10分)松瀬峠(13分)小井波登山口 合計2時間8分<休憩50分含む> |
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流石に今日は小佐波御前山はない。じゃあ、何処か? 気乗りはしなかったが夫婦山に向かった。たまにはいいか。 |
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雪がないので登山口まで車を入れる。この先、登山道入口まで車が入るがたいした距離じゃない。 車道を150m程歩いて左の登山道に入る。雪が積もると分かりにくいところで、注意が必要だ。 |
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夫婦山の難点は匂いだ。風向きによってはかなり離れても豚舎の匂いが届く。山そのものが悪いという訳ではない。残念だ、 |
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登山道は途中で車道を横切る。その車道までに、いくつか標識がある。車道から上にある標識は松瀬峠と頂上だけ。 車道からひと登りすると直径50mほどの盆地に出る。10年前、地図も磁石も持たず、迷いまくったところだ。 |
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あの時は無茶だった。登山道さえイメージ出来ていないのにガスの中、方向も分からずむやみに歩き回った。 支尾根に出てしまい、方向を失っている事に気づいた。その後焦って闇雲に歩きまわり、最後は自分の踏み跡を横切ってしまう有様だった。 帰り道さえ見失い、ほとんどパニック状態だった。これ以降、どんな小さな山でも地図と磁石は持ち込むようになった。 |
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松瀬峠から女峰に向かう。久しぶりだ。女峰は富山平野側が刈り開けてあるだけで視界はあまりよくない。 すぐに松瀬峠に戻る。松瀬峠から男峰はロープが張ってある急登である。雪は少なく、足を滑らせるような事もなかった。 |
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大岩の下を左に巻いて、10時40分、夫婦山(男峰)に出る。そういえば夫婦山はいつも1人だったような気がする。 仲間と来た事もあるし、頂上で仲間と遭遇した事もあるのに何故かそう思う。いつもこの空間を独り占めしていたような懐かしさを感じる。 |
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山を降りてから小井波にある猿丸太夫の塚を見に行く。今は訪れる人もいないようで荒れていた。 猿丸太夫は謎に満ちた人物である。実存したかどうかも定かではない。柿ノ本人麻呂と同一人物だったという設もある。 |
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ゆかりの地は全国各地にあり、小井波の石碑もその中の1つ。隣の山田村にも塚があり、金沢の笠舞町には猿丸神社がある。 三六歌仙の1人であり、百人一首にも「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」が選ばれている。 山田村では「当村の数納地区で詠まれた歌だ」と言い、八尾では「小井波が猿丸太夫晩年と地」と言っている。面白い。 |
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人間は本当に記念碑が好きだ。小井波にあるのは廃屋が2軒と豚舎と記念碑が3つ。記念碑の1つは猿丸太夫塚である。 残りの2つは「道路改修記念碑」と「耕地整理記念碑」。その道路は豚舎のためだけにあり、耕地は耕す人もなく荒れ果てている。 そのうち「記念碑だけが残った」という事になるのだろうか |
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