二十五山



二十五山の横にピラミッド?(2011年3月19日撮影)

所在地飛騨市神岡町
前平 アプローチ神岡町から山之村への途中で分岐する
登山口標高870m
標   高1153m
標高差単純283m 累積(+)334m 累積(−)50m
沿面距離登り2.2Km 降り1.2Km
登山日2011年3月19日
天 候
同行者単独
コースタイム 前平(25分)通洞口(1時間20分)二十五山<休憩40分>(35分)前平 合計3時間<休憩40分含む>


 飛騨市神岡町にある二十五山(にじゅうごやま)。一般の登山者からは忘れ去られたような山である。
 円空上人が木彫りの25体の菩薩を彫って奉納したという言い伝えがある。そのため元々は峰鬼山と呼ばれていた山がいつしか二十五山とよばれるようになった。
 その菩薩は現在、和佐保にある光円寺に保管されている。その和佐保も、もう数軒しか家が残っていない。


鹿間から登る予定が雪不足で前平からに変更
 

廃墟の跡を見ながら歩いていたら行き過ぎてしまい通洞口から取り付く
 
 二十五山には黄金の鶏伝説もある。年に1回だけ元旦の朝に鳴き、秋の彼岸の正午に金色に光る鶏がいたそうだ。ロマンに満ちた山である。
 神岡鉱山の私有地であり、登るには事前の許可がいるようだが、鉱山が廃坑となっている現在、特に問題はないようである。


国道41号線から二十五山をのぞむ
 
 国道41号線を南下して気になっていた神岡の二十五山に向かう。国道沿いの鹿間から登る予定だったが雪が少ない。
 予定を変更して廃坑、廃村となった栃洞に移動。立入禁止の標識の前で車を降りる。


三井金属の南平社宅跡
 

前平入口で車を停める
 
 廃墟となった建物には心が痛む。かつてここで暮らし、ここで明日を夢見た人達はどこへ行ってしまったのだろう?
 ここ、栃洞も私の生まれ育った大津山と同じ、三井金属の廃坑によって廃村となった集落である。


道路両側に連なる廃墟となった社宅
 

蔦に覆われた姿はすざましい
 

割れた窓から室内をのぞき込んでみる
 

2千人もの人が住んでいた町が廃墟となるのを誰が予想出来ただろう
 
 廃墟を見ながら歩いているうちに行き過ぎてしまい、通洞口まで行ってしまう。少し戻って斜面に取り付く。


ここから取り付く
 

その上にもまだ廃屋が...
 
 登る予定の二十五山の西斜面は岩壁を交えた急斜面だった。行き過ぎてしまったようだ。
 左側に回り込む。雪崩の心配のある谷側だが行く。30度を超える斜面のトラバース。
 フワフワの膝ラッセルの雪はいつ雪崩れてもおかしくない。止まらずにひたすら歩く。結構怖い。


この30度超の斜面のトラバースが怖かった
 

さらさらの膝ラッセルでいつ雪崩れるか?
 
 トラバースを終え、コルに出てみると異様な光景が待っていた。ピラミッドを思わせる大きな人工物。
 回り込んで見る。上に登って見る。だが、何故こんなものを作ったのか解らない。
 二十五山は削られて20年間で標高が55mも低くなったそうだが、ピラミッドを造ってもとに戻そうとでもいうのか?


コルに出た瞬間、目の前に現れたものは ピラミッド?
 

二十五山から見下ろしても作りかけのピラミッドにしか見えない
 

削り取られて広くなった二十五山の頂上
 
 簡単にランチをとり、下山開始。前平へ向かって降りる。等高線で見る限り崖はないはず。
 30度くらいの斜面が続く。こぶりのナラとブナがきれいな斜面。ここも樹齢がそろっている。不思議だ。


降りに使った南斜面はきれいな落葉樹林帯(ブナ、ナラ)だった
 
 南平に降り立ち、駐車場所まで舗装道路を歩く。住む人もいないのに何故除雪されているのだろう。


前平集落跡まで降りる
 

鉱山ならではの神社か?
 

雪に覆われた排砂ダム
 
 下山後、神岡町の山仲間山口に旧奥飛騨温泉口駅ちかくにある男の隠れ家「板倉」に案内してもらう。
 駅のすぐ近くにもあるが、それよりもう100m程北側にある板倉である。内部は3畳の茶室となっていた。


移動式の男の隠れ家「板倉」
 

板倉の内部(三畳の茶室)
 
 その板倉の前に「やまの庵」がある。行き止まりのようなところにあり、知らない人は訪れる事のないお店である。
 食事も出来、コーヒーもいただける。コーヒー豆は「あすなろ」の自家焙煎を使ってる。
 落ち着けるお店なので、ゆったりした時間が欲しい方にお薦めです。


旧奥飛騨温泉口駅近くにある「やまの庵」
 

ご主人は陶芸家でもある
 

ここのコーヒーは「あすなろ」の豆を使っている