折石山



折石山の頂上

所在地飛騨市神岡町茂住
旧茂住駅登山口 アプローチ国道41号線東茂住から橋を渡って西茂住へ
登山口標高260m
標   高949m
標高差単純689m
沿面距離2.4Km 2.9Km(GPSデータ)
登山日2014年3月2日
天 候曇り
同行者洋平、中嶋、堀岡
コースタイム 茂住駅(1時間55分)コル(55分)折石山<休憩2時間>(20分)コル(1時間10分)茂住駅
歩行4時間15分+休憩2時間=6時間15分



 
 

 雪がどんどん消えていく。毎年、この季節になると寂しさでいっぱいになる。
 41号線沿いの山でまだ行ったことのない山。面白い山はないか?
 名のある山はもう全て登ってしまった。


 
 

 子供の頃に毎日見ていた西山中(にっさんちゅう)の山。高原川左岸の無名の山。
 この頂上に立って「大津山」(My home town)を振り返るのも面白いと思った。


廃線となった神岡鉄道の茂住駅
 

駅の前に車を停めて9時出発
 

 三角点があるので点名を調べると「折石山」とあった。茂住山と名付けようと思っていたがやめる。
 廃線になった神岡鉄道の茂住駅前に車を停め、9時出発。


対岸(高原側右岸)に東茂住の街が見える
この上の山の奥に我が故郷「大津山」があった

 西茂住は橋を渡ったところに駅があり、右と左に分かれて集落がある。
 右のほうには現在2軒しか家がなく、そのうちの1軒はもう長らく人が住んでいない。
 もう1軒は叔母さんが一人で住んでいたが体調を崩して昨年、福井県にある施設に引っ越してしまった。


西茂住の北側の集落に向かう
 

去年まで叔母さんが住んでいた家
 

 叔母さんの家の裏に谷がある。叔母さんの家の名前をとって「岡田の谷」と呼ばれている。これを詰める。
 杉林の中に石垣が何段にも積んである。田があったそうだ。洋平は茂住出身なので詳しい。


対岸に見える排砂ダム  右に見える道路は大津山へと続く道
 

 対岸に見えるロック・フィール・ダムのようなものは砂で出来た排砂ダムである。
 鉱山から出る砂を貯めるためのものだった。子供の頃、小さかったダムはどんどん大きくなっていった。
 コバルト・ブルーの水をたたえたダムはカドミウムで汚染されていたのかもしれない。


折れた枝をしっかりと捕まえているこのツルは?
 

サルスベリ? リョウブ?
 

 「岡田の谷」を詰めてコルに出る。洋平はこのコルを「岡田のコル」と名付けている。
 反対側へ200mほど降るとソンボ谷に出る。昔はここを通ってソンボ谷へ抜けたそうだ。(洋平談)


折石山の頂上は広かった
 

 コルから左に折れて折石山へと向かう。残りの標高差は200mほどだが急登が続く。
 頂上についたころからガスが濃くなる。視界は50mほどしかない。大津山ははるか彼方。


ランチ・タイム
 

変わったものはありません
 

 簡単なスノー・テーブルを作ってランチ・タイム。ガスがひくのを2時間待ったが無駄だった。
 気温が下がってきたようで寒い。13時45分、頂上出発。頭の中は温泉でいっぱい。


35〜40度ぐらいでしょうか
 

上の方まで石垣で作られた田の跡
 

 湿雪の深雪をスノー・シューズで滑り降りる。パウダー・スノーより難しい。
 つま先を雪の中に埋めてしまうとつんのめる。慣れるしかない。


叔母さんの家まで戻る
 

家の裏の水場
 

 14時50分、叔母さんの家まで戻る。人の住まなくなった家は雰囲気で分かる。
 家の周りが、きれいに片付いていて雑然としたところがない。生活感が感じられないからなのだろう。
 茂住も、横山も、中山も、雨戸が閉まったままの家が増えた。


対岸の選鉱場跡  この上に排砂ダムがある
 

 大津山には家(全部が社宅)が300軒あり、1000人が住んでいた。
 会社の方針で昭和50年の夏、全員が一挙に麓に降りて大津山はその歴史を閉じた。
 余談だが、洋平はそのとき学生で、引っ越しのアルバイトをしていたそうだ。


夏の大津山
 


冬の大津山
 


冬の夜の大津山