折石山 |
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所在地 | 飛騨市神岡町茂住 | |
旧茂住駅登山口 | アプローチ | 国道41号線東茂住から橋を渡って西茂住へ |
登山口標高 | 260m | |
標 高 | 949m | |
標高差 | 単純689m | |
沿面距離 | 周遊4.3Km | |
登山日 | 2014年3月4日 | |
天 候 | 晴 | |
同行者 | 単独 | |
コースタイム |
茂住駅(2時間)折石山<休憩55分>(1時間)茂住駅 歩行3時間+休憩55分=3時間55分 |
2日前は天候に恵まれなかった。ガスがかかり視界は50m。宴会登山に終わってしまった。 天気予報は今日だけ晴マーク。折石山に向かう。 |
茂住駅前に車を停めさせてもらい、9時40分出発。前回より40分遅い。 雪が残っていそうなので尾根を直登するコースを選ぶ。多少の藪こぎは覚悟。 |
雪のあるところを右に、左にコースを変えながら登る。藪こぎは、しなくて済んだ。 気温が低く、雪もしまっていたので助かった。 |
斜度は40度〜45度ぐらいだろうか? 急登が続く。 このコースを登る人も降る人もいないだろうと思いながらも、赤布をつけながら行く。 |
左側の谷沿いがなだらかに見えるが、右側の急登の尾根を目指す。 なだらかなところを行って、最後に登れないような急登に出会ったら最悪だ。 |
山行きは天候によって、まったく別物になる。 ガスの中を行く、修行のような山行きと、快晴の中を行く、ピクニックのような山行き。 今回は(急登をのぞけば)ピクニック。 |
振り返れば高原川の対岸に排砂ダムが見える。やや高いところに大津山の跡も見える。 あんなところに全国から集まった1000人が住んでいた。特殊な世界だったのかもしれない。 |
映画館も、劇場も、4カ所にあった銭湯も全部無料だった |
斜面がなだらかになってきて、ほっとする。雪が降ったらしく、新雪が積もっていた。 吹きだまりで10cmぐらい。 |
なだらかな斜面になったところの楢の木はカシノナガキクイムシにやられて全滅していた。 自分で自分の生活環境(楢の木)を破壊して住めるところをなくしたカシノナガキクイムシ。 人間も地球の環境を破壊して滅んでいくのかもかもしれないと、ふと思った。 |
雪山で、こんな景色に何回出会えるのだろう? こんなところなら、いつまでも、何処までも歩いて行きたい。 雪山にあこがれるのは、こんな風景に出会えるからかもしれない。 |
頂上が近づくと左側が切れ落ちた細尾根となる。安易に左側の谷沿いを行かなくてよかった。 広いピークに出る。標高は折石山と、多分、同じ。かってに折石山南峰と名付けた。 |
北峰へは少し降って登り返す。距離は150mほど。どちらが頂上か分からないが三角点があるのは北峰だ。 11時40分、北峰の頂上に立つ。北峰には2日前の宴会跡が残っていた。 新雪と風で半分ほど埋まっている。たった2日前のものなのに妙に懐かしい。 |
少し掘り起こしてランチ・タイムとする。目の前に大津山の跡、排砂ダムをのぞむ。 遠くに見える白い山は薬師岳だろう。左に見えるのはキラズ山。左奥に見えるのは六谷山で大津山の右奥は池の山。見飽きない。 |
12時35分、頂上を後にする。 岡田のコルまでの急降が難しかった。凍った雪面に新雪が5cm程積もっていて滑る。 2日前の足跡は埋もれていて足の置き方が定まらない。別の斜面をジグを切って降りた。 |
コルからは雪も緩んでいて難しいところはない。2日前のトレースを踏まないようにして、だらだらと降る。 |
石垣で作られた棚田は数えてみると20段もあった。左側の斜面にも棚田の跡がある。 南向きの斜面なので日当たりがよかったのだろう。 |
13時35分、茂住駅までもどる。駅のドアを押してみる。開いた。廃墟には興味がある。中に入る。 |
中にはストーブと椅子が? その上のカウンターにはチラシのようなものが? 朝日新聞と書いてある。日付は3月5日。明日の新聞? 誰が持ってきて誰が読むのだろう? |
1970年代につのだじろうの「恐怖新聞」という漫画があった。明日の事が書かれた新聞で、実際に記事通りに人が死んだりした。 1回読むたびに100日寿命が縮むのだが、主人公は魔力に勝てずについ読み続けて、最後は死んでしまう。 死んだあと、主人公はその新聞の配達人となる。ようなストーリーだったと思います。 読まなくてよかった(^_^) |