ベトナム旅行

3月20日

 朝から雨模様。だが食事後、ホテルを出るころには、雨はあがっていた。
 ハノイ市内の探検に出かける。今日は教会通りからタイ湖周辺を歩く予定。


 団体旅行は日本人だけじゃないようだ

 ホアンキエム湖まで南下して右に折れ、教会通りに向かう。
 湖のほとりでガイドブックの地図を見ていたら4人ずれの家族に「おはよう」と声をかけられる。日本人だ。「おはようございます」と返す。
 ガイド・ブックの表紙に大きなカタカナで「ベトナム」と書いてあったので、ばれたようだ。


ハノイ大教会 フランス領時代に建てられた

 ハノイ大教会はフランス領時代に建てられた教会なので周りの雰囲気がちょっと違う。
 ニャートー通りなどお洒落な店が並ぶ。


路上でサトウキビの皮を剥く女性


混沌とした旧市街


1階はきれいな店舗だが2階から上は崩壊寸前?

 「旧市街三六通り」を北上する。この街はベトナム戦争で破壊されなかったようだ。
 昔ながらの町並みが連なる。だが教会通り近くのお店はお洒落で町並みとのミス・マッチが面白い。


路上とのアンバランス
 

2階とのアンバランスが面白い
 


「旧市街三六通り」の路地

 「旧市街三六通り」の路地はゴミ屋敷のようだ。老朽化が進んでいるが、それぞれが大事な生活の場だ。行政も安易に手が出せないだろう
 電線も使われなくなった物が束ねて電柱に縛り付けられている。使われている電線とそうでないものの区別が出来なくなっているのだと思う。


電柱に縛られた使われなくなった電線


何でも有りの街でも、これはないでしょう?

 ドンスアン市場の大きな建物はフランス領時代、路地にあふれた露店をまとめるために建てられたものだ。
 1階が食料品や日用品、2階、3階が衣料品売り場となっている。


ドンスアン市場

 建物内は、歩くところがないくらい商品があふれている。沢山の商品を隙間なく積み上げるのがベトナムの商品陳列方法のようだ。


ドンスアン市場内の帽子売り場
 

ドンスアン市場内の下着売り場
 

 露店を建物内に集めるために作られた建物なのに、現在は建物の周りに露店がいっぱい集まってきている。


この大きな店はフォーを出していた

  その露店の中に、食堂(?)もいくつかある。人気のあるところは人でいっぱいで割り込んで座る勇気がなく、空いている店を探す。


この小さな店(これも路上)で「フォー」を注文する

 空いている小さな店を見つけ、横にいた人が食べていたものを指でさして注文する。
 人差し指を1本立てて「1杯」と。ベトナムを代表する食べ物「フォー」。


路上で「フォー」を調理

 調理はすべて素手でやっている。「箸を使って..」と言いたくても言葉が分からない。だいたい箸自体がない。


出てきたベトナムを代表する料理「フォー・ボー」(豚肉フォー)

 テーブル・トッピングは4種類あった。コショー、スダチ、豆板醤のようなものと得体の知れない液体。
 スダチと豆板醤だけ使う。とにかく完食。4万VND(ドン)。日本円で約200円。


完食

 旧市街三六通りの北側にあるタイ湖に向かう。ハノイには湖が沢山あるが、その中で1番大きな湖だ。
 道路を挟んで東側にチュックバック湖がある。同じ湖を道路でむりやり東西に分けたように見える。


行列の出来る?ガソリンスタンド

 ガソリン・スタンドにバイクの行列が出来ていた。このガソリン・スタンドに人気があるわけではなく、バイクの数が多すぎるからなのだろう。


無店舗営業の床屋さん

 無店舗商売があたりまえのベトナムでは床屋さんも無店舗で出来るようだ。
 道路の柱に鏡を吊して椅子を置く。あとはその椅子に座って客を待つだけ。
 木に吊した看板には「CAT−TOC」とある。CATは切る(英語に似ている)。TOCは髪。
 ベトナム語には声調(6種類)があり、AとOの上に記号が付いている。


4人乗りは大丈夫なのか?

 なかなかタイ湖に着かない。北東に行き過ぎたようなので西に方向を変えた。
 coffeeと書いてある店に入って小休止。地図を見せて現在地を確かめる。

 ところが分からない。地形だけではダメなのかと思い、ベトナム語の地図を出す。
 それでもなかなか現在地が分からなかった。3人がかりで、やっと見つける。
 ベトナムの人はあまり地図を見ないようで、同じような経験を何回かした。


オフィス街のランチ・タイム 外食が好きらしい

 少し南に降りて西に向かう。湖に行き当たった。チュックバック湖だ。
 湖岸に並んだテーブルは昼食をとる人でいっぱい。スーツ姿の人もいる。近くがオフィス街らしい。


自分撮りをしているのは中学生? 高校生?

 チュックバック湖をぐるっと回って、タイ湖との境の道路を南下する。
 釣りをしている人が何人かいた。えさ釣りじゃなく、投げた重り付きの針を引っ張って魚を引っかける釣り方。


軍人が団体で散歩(行進?)していた

 タイ湖から南下してバーディン広場を歩く。ホーチミン廟近くで軍隊の行進と出会う。
 だが、近づいてみたら、皆だらだらと歩いていて散歩のようだった。縦長で歩いていたので行進だったのかもしれない。だとしたら、ちょっと、だらしない。。


ベトナム軍事歴史博物館 貴重な資料を雨ざらしにしているのはもったいない

 今日の予定のひとつが「ベトナム軍事歴史博物館」を見ること。爆弾や枯れ葉剤など、核兵器以外の全ての武器で攻撃されたが最後までアメリカに負けなかった。
 そんな国の軍事歴史博物館だ。本物の戦闘機も沢山展示されている。ここは逃せない。


大砲?
 

アメリカ空軍のジェット戦闘機
 


戦車
 

双発の輸送機
 


ヘリコプター
 

ソ連のミグ17
 

 最終的に戦争が終わったのは1975年。40年前まで戦争が続いていたのだ。
 年配の方達に笑顔が少ないと思ったのは戦争の影響があったからかもしれない。
 戦争のまっただ中で育った世代なのだ。


ベトナム軍事歴史博物館の敷地内にあるコーヒーショップ

 踏切から線路をのぞいてびっくりする。そこには道路のような光景が広がっていた。
 家の玄関がある。バイクが置いてある。ベランダがあり洗濯物が干してある。料理をする人がいて小さな子供まで遊んでいる。


線路が道路のようになっていた


線路に水を捨てる女性 電車が通るとき以外は生活の場となっているようだ

 商品をめいっぱい陳列するやり方は店舗だけじゃなく自転車販売やリヤカーみたいな屋台も全て同じ。
 品数が少ないと貧弱に見えるからなのだろうか?


ごちゃごちゃに陳列された商品 棚卸しはしない(出来ない)と思う

 40年前まで戦争を、それも負け戦をしていた国である事を、外国から訪れた人は忘れてはいけない。
 戦争を覚えている人は沢山いる。平和ぼけした日本人は特に気をつけよう。


戦争が終わった事を記念した像だろうか

  1日、ハノイの街を歩いて思ったこと。ハノイはベトナムの首都である。だが、首都の雰囲気はなかった。
 どこかの田舎町である。だが混沌とした街中に不思議なパワーがあるのを感じた。


このハノイという街をなんと表現したらいいのだろう?