ベトナム旅行−3日目(3月18日) |
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ホテルにチェック・インした後、非常口が分からなかったので聞いた。「Where is the emergency exit?」 通じない。「fire!」と言って走る格好をしてみせたがだめだった。 ベトナム語指さし会話帳の本を持ってきて「非常口」を指さしたが通じない。 両側がコンクリートで出来ている狭い建物に非常口という感覚はないようだ。 窓がない部屋だ。階段を走って降りるしかない。2階でよかった。 |
まだ目が覚めていない朝一で見かけた着物姿の男。着こなしは日本人だ。それも侍系。なんだこれは? 右手に持った一眼レフカメラが残念。 |
ホーチミン市の東側、サイゴン側に近いところに日本人が多く住んでいるところがある。 日本人街とでも言うのだろうか? そのあたりは日本食の店が多い。店名も日本語で書いてある。 |
ベトナムに来て日本食を食べるのはもったいない。というかなんか変。それに日本にいるときの方が美味しい日本食を食べられる。 だが、天秤棒で運ばれてくる訳の分からないものを食べるのも恐ろしい。 ガイドブックにも日本人は免疫力がないからチフスやコレラに気をつけるようにと書かれている。 |
日本人街からサイゴン川に出て南下する。鉄条網が張ってあり川には近づけない。 鉄格子越しに見えたのは軍艦だった。そして下流の公園に飾ってあったのは古い大砲だった。 この国はどこへ行ってもまだ戦後を引きずっている。戦争が終わってまだ40年しか経っていないのだ。 |
サイゴン川から離れて市の中心地に向けて北上する。このあたりの車道の幅は40mぐらいあり、横断するのがかなり怖い。車のスピードも市街地とは違う。 |
ベトナムが昔、公文書として使っていた文字は漢字だった。だがベトナム語と中国語は別系統の言語。 全てのベトナム語を漢字で書くことは難しく、日本のひらかなと同じようなチューノムという文字を考案した。 だがチューノムは漢字より難しく、さらにベトナム語は声調言語なので、すべての音をチューノムで表すと4000以上の文字(日本では50)が必要となり普及しなかった。 ベトナムを植民地としたフランスはベトナムの公用語をフランス語にしようとしてアルファベットを導入する。(日本人が台湾を日本語化しようとしたのと似ている) はじめは反発したベトナムの知識人もその利便性を認識してベトナムの文字とした。それがクオック・グーである。 声調はアルファベットの上下に記号をつけて表記している。中国語の声調は4種類だがベトナム語の声調は6種類もある。 クオック・グーは声調記号があるので英語との区別がつく。マレーシアは完璧なローマ字だったので英語かマレーシア語かを見定めるのに時間がかかった。 例えばバスは英語で「bus」だがマレーシア語では「bas」タクシーは「taxi」が「teksi」。 駅の案内表示なども、まず英語で書かれているのかマレーシア語で書かれているのかを判断してから読むので時間がかかった。 |
肉とか魚の売り方がワイルドだ。街角や屋台の食堂はこういうところで買っているのだろうか? それを考え出すと肉類とかが喉を通らなくなるので食べるときは考えないようにした。 |
適当に注文した麺類の具が多い。日本でいう練り物のようだがちょっと違う。 付いてくる香草類もよく分からない。水道水か、それ以下の水で洗ってあると思われるので少ししか入れない。 本当は入れない方がいいのかもしれないが、それだと面白くない。 |
サイゴン大聖堂はフランスの統治下にあった19世紀後半に建てられたカトリック系の教会である。 レンガはすべてフランスから船で運ばれたものとのこと。ベトナムでは焼けなかったのだろうか? |
そんな貴重なレンガの壁は落書きでいっぱいだった。日本でいえば東大寺の壁、金閣寺の壁に落書きするようなものだろうか? 黒い文字は漢字だが日本人じゃなく中国系の名前のようだ。 |
サイゴン大聖堂の横にあるのが中央郵便局。入って正面に飾ってあるのがホー・チ・ミンの額。 左右の奥に伸びるカウンターが業務用の窓口となっているが、入ってすぐの両サイドと中央は観光客用の売店となっていた。 |
気になっていたココナッツジュースを飲む。マレーシアでテオさんが飲んでいるのを少しいただいた。 60,000ベトナムドン(日本円で350円ぐらい)でちょっと高いと思った。(後日、他の店で15,000ドンだったので4倍払っていたことになる) ストローで皮を一生懸命に掻き出そうとしていたら切ってくれて内側の美味しいところをえぐってくれた。 もう1個どうだと言ったのは悪いと思っておまけしてくれようとしたのか、もう1回60,000ドンを稼ごうとしたのか不明。 |
ココナッツジュースを飲んでいるとき横に来たベトナム人が上手な日本語で話しかけてきた。 当たり障りのない話から、最後は「マッサージはどうか?」だった。 ベトナムで日本語を話した唯一の人だった。後日偶然に再会した。また、「マッサージはどう?」だった。 |