ベトナム旅行−4日目(3月19日)



相変わらずパワフルなスクランブル交差点
 

 ベトナムの首都はハノイでホー・チ・ミンではない。だが都市化が進んでいるのはホー・チ・ミンである。
 そのホー・チ・ミンの中心地でも路地に入れば田舎の雰囲気が漂う。


ホーチミンの繁華街も
 

路地に入ればこんなもの
 

 ベトナムの商品の展示方法は沢山のものをめいっぱい陳列すること。
 衣類などは手の届かない高さまで吊って、食料品は大きな袋にめいっぱい詰め込む。
 袋の底の方にあるものはいつ頃から入っているのかと心配になる。


商品を高く積むのは「この店にはこんなにも沢山の在庫がありますよ」かな?
 

 生物の売り方もワイルドで、覆いはなく、天日干しみたいな状態の時もある。
 近くを通るだけで生臭い臭いが鼻をつく。


露天の肉屋さん
 

露天の魚屋さん
 

 地べたに敷かれたブルーシートの上に下着が並べて売られていた。
 下着泥棒の隠し部屋みたいな雰囲気だ。


露天の野菜屋さん
 

露天の下着屋さん 左がショーツで右がブラジャー
 

 路上にミシンを出して何か縫っている。足で踏む懐かしいミシン。
 この睨んでいる女性がオーダーしたのだろうか?


懐かしいミシンで商売
 

 下の写真の高い建物の形が特徴的で、何処から見ても方向と距離が解る。
 便利な標識となった建物だった。


近代的な建物と古い街並みが同居している
 


この電線を整理できるとは思えない
 

ベトナムのインフラ整備はこれから
 


黒人系のヒッチハイカー
 

イスラム系のヒッチハイカー
 

 ハノイではあまり見かけなかったヒッチ・ハイカーがホー・チ・ミンには沢山いた。
 何故か東洋系はほとんど見かけない。イスラム系、黒人系、一番多いのが白人系。
 このスタイルはまったく考えないわけではなかったが、彼らを見て、やりたいとは思わなくなった。


白人系のヒッチハイカー
 

ヒッチハイカーにスカートは似合わない
 

 男が道路に寝ていた。死んでいるのかと思いながら見ていたら上半身だけ起き上がった。
 手にサンダルを持っている。車にはねられたらしい。
 ベトナムは1日に30人が交通事故で亡くなる国だ。しばらくしたら、いなくなっていた。


ぶつかるのは車やオートバイだけじゃなく人もぶつかる
 


シクロに乗っているのはほとんど白人系
 

自転車で果物を売る
 

 旅行会社のツアーで行く海外旅行は面白くない。移動時間が長く、観光地を短時間でまわるだけ。
 昨年、台湾に行ったときは行く先々で日本人ばかり見ていたような気がする。
 外国に行ったら街に出て、その国の文化に触れてみたい。人々の生活を見てみたい。


リヤカーでブン(うどん)を売る
 

地べたで果物を売る
 


市場の中にある露天みたいな食堂
 

作るところも食べるところもいっしょ
 

 もういい加減に麺類から離れてもいいんじゃないかと思ったが筋金入りの「麺喰い男」。
 麺類を売っている店を見つけると、ついふらふらと入ってしまう。「This one please!」。


今日のランチも麺類(名前を聞き忘れた)
 

麺類につきものの香草、唐辛子、スダチ
 

 戦争が終わってまだ40年しか経っていないベトナム。日本は70年。
 日本もやられたが自分から出て行ってやられたので、ある意味自業自得。
 だがベトナムは勝手に他国が介入してきて徹底的にやられた。


戦争証跡博物館
 

 戦争証跡博物館の庭には飛行機や戦車などがいっぱいに並べられている。
 1階は武器などが並べられていて、2階と3階が写真館となっていた。


ベトナムには至る所にこんなものがおいてある
 

アメリカの戦闘機が多い
 


キャタビラが壊れた戦車
 

機銃が載っている船
 


こういったものを陳列するベトナムの人の気持ちが
 

なんとなく解るような気がする
 

 1階の入り口に飾られていた日本語で綴られた何かのコピー。内容は全てベトナム戦争反対のもの。
 戦争証跡博物館に飾ってあることを日本人として誇りに思いたい。


1階に飾ってあった日本の反戦メッセージ
 

 1945年8月、日本が敗戦し、9月にベトナム民主共和国が独立宣言をする。
 1946年11月、フランスがインドシナへの復帰を目指し、ベトナム軍と開戦。
 1954年5月、ディエンビエンフー要塞が陥落してフランスが敗北する。
 1965年、アメリカの北ベトナム爆撃が始まる。
 1968年1月、ベトナム軍がテト(旧正月)入りを期して攻勢をを開始。
 1968年3月16日、アメリカ軍によるソンミ村の無差別虐殺事件がおこる。
 1975年4月30日、大統領府が無血で陥落してベトナム戦争が終結した。


見たくないかもしれませんがあえて載せます
 


亡くなった人達の写真は子供が多い
 

この子供達の未来を奪う権利は
 

誰にもなかったはず
 


枯れ葉剤散布による奇形児が
 

沢山生まれた
 

母親の笑顔に救われる気がした
 

 1968年3月16日のソンミ村事件。山間ののどかな田園に囲まれたソンミ村にK中尉率いる小隊が突入して無差別に村民を殺害した。
 妊婦17人、老人60人、子供173人、乳児56人、計504人が殺された。生き残ったのは5,6人。何の目的で老人と女と子供しかいない村を襲ったのか?
 指揮官のK中尉は1974年にいったんは無罪判決が出されたが翌年取り消されている。
 ソンミ記念館には右手を空に向かって突き立て、左手でわが子を抱いた母親の像が建っている。
 ソンミ村とは関係ないが、ハノイにも死んだ幼児を抱いて立つ母親の像が建てられている。


3階の写真階にいたのはほとんどが白人系
 

この人達の真剣なまなざしに未来を信じたい
 

 イスラム国とアメリカ主導の連合軍との戦争を見ているとベトナム戦争が重なる。
 ベトナム人は民族の誇りを賭けて戦ったがイスラム国は宗教だ。宗教は怖い。
 小学生にも武器を持たせて「異教徒は全員殺せ」と教えている。
 死後も素晴らしいあの世が待っていると思っているので自爆テロも怖くない。
 連合軍は勝てないような気がする。この戦争は簡単には終わらないだろう。


沢田教一氏の「安全への逃避」(1966年、ピューリッツァー賞報道写真部門受賞)
 


フィン・コン・ウト氏の「ベトナムの少女」(1973年、ピューリッツァー賞 ニュース速報写真部門受賞)
 

 中学校の近くで生徒が学校から帰るのを見ていた。日本とまったく同じだと思った。
 ふざけたり、笑ったり、たむろして話をしていたり。半世紀前に生まれなくてよかったね。


中学男子
 

中学女子
 


子供はどこへ行ってもいっしょだ
 

 ベンタン市場の両サイドは夜店が沢山出来て歩行者天国となる。
 はずなのに、オートバイは何処にでも入ってくる。


オートバイ乗り入れ禁止のはずの
 

歩行者天国にバイクが走る
 


ホーチミンには魚介類がたっぷりあります
 

日本と同じように炭火焼き
 

 ベトナムはテントとテーブルと椅子だけでこれだけの商売が出来る国。
 ほとんどが観光客だと思われる。


観光客で賑わうホーチミンの夜が更けていく