ベトナム旅行−6日目(3月21日) |
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ハノイで泊まった部屋には窓があった。だがカーテンを開いて窓を開けるとコンクリートの壁だった。 今回の部屋には窓もない。夜しかいないから、なくてもよさそうだが何となく息苦しい。 |
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ホテルのすぐ近くがブンタン市場なので、いつもひとまわりしてから出かける。 天上近くまで吊られた商品は手が届かない。それを取ろうとしているお客さんも店員も見たことがない。ただの飾りなのだろうか? |
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ホー・チ・ミンには博物館が多い。ホー・チ・ミン市博物館を見学する。 歴史的な展示物もあったが戦争に関係した物が多かった。 |
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1975年4月26日北ベトナム解放軍数十万人がサイゴン市へと南下を始めた。 1975年4月30日正午、北ベトナム解放軍が戦車とともに大統領官邸に入る。 30分後に大統領官邸屋上に解放軍の旗がたなびいた。 ベトナム戦争が終結した瞬間だった。 |
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統一会堂(旧大統領官邸)近くの「ビア・ガーデン」。名前はビア・ガーデンだが中身はレストラン。 |
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とりあえずビールを注文する。それから屋台ではないレストランの「フォー」も注文。 |
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ところが出てきたのは揚げたフォー。メニューを指さして「No.5」と言ったのに、別のページの「No.5」が出てきたのだった。 ウエイトレスを呼んで注文した物と違うとクレームをつけた。ウエイターが出てきたので、また同じ事を言う。最後は交換しますということになった。 近くにいた日本人が笑顔でグーサインをくれた。 |
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中央郵便局の前を通ったので入った。2度目である。白人系が多いが日本人もそこそこいる。 |
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郵便局の前でアオザイを着た娘達が撮影をしていた。靴を脱いで、一斉にジャンプ。 最後は観光客も混じって記念撮影をしていた。 |
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市内の本屋さんに入る。中にいた3人の女性は日本人のように感じた。 近づいて話をしているのを聞くと日本語。ベトナムの人が日本人を当てるのは意外に簡単なのだろう。 |
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街を歩いていると簡単に片言の日本語で話しかけてくる。「こんにちは」、「ともだち」、「3個千円」。 バレバレなのが悔しいので無反応を貫く。少しでも反応したらこちらの負け。 「あれっ?日本人じゃなかったのかな?」と思ってもらえれば、こちらの勝ち。 |
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市の南西方向にあるデタム通りが面白い。観光客も多く道路の両側にしゃれたカフェが並ぶ。 |
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ビールを飲んでいるのは白人系ばかり。東洋系でビールを飲んでいるのは私だけかもしれない。 この日も白人系に混じってサイゴンビールを飲む。グラスはなく、ラッパ飲み。 |
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こちらのサークルKは店内が狭いせいか、冷蔵庫の扉が外側にあって、お客は外から飲み物を取って店内で支払うシステムを取っている。 仏教の国、儒教の国だ。お客様を信用している。 |
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かすかにセンターラインや横断歩道の跡が残っているだけ。書いても無駄なのだろう。 ベトナムには対向車線という感覚がないように思える。みんな「空いているところが走ってもいいところ」みたいな感じで走っている。 |
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デタム通りから路地に入るとネールサロンや美容室などが並ぶ。 日本と違い、ドアも壁もない開放的な空間で制服もない。従業員もみな腰掛けたまま。 |
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儒教の国ベトナムは男尊女卑の国である。だが強いのは女性。ベトナム戦争で男が長い間家を空けていたからという説がある。 働かないで日中からぶらぶらしているのは男性で女性はよく働く。だからじゃないかと思う。 日本も男尊女卑の風習はあるが、かかあ天下という言葉もあるから同じか? |
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ベトナムの首都ハノイもベトナム第一の都市ホー・チ・ミンも東京とはまったく異なった都市だ。 比較すること自体が変? 戦後40年の国と70年の国の違い? そうでもない。 ベトナムで驚いたことは沢山あるが、彼らもまた日本に来たら驚くことが沢山あるだろう。 |
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