芦浜池 |
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6月11日 |
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所在地 | 三重県度会郡大紀町 | |
錦港登山口 | アプローチ | 国道42号線から県道22号線に入り錦港へ |
登山口標高 | 5m | |
姫越山標高 | 503m | |
標高差 | 498m 累積560m | |
沿面距離 | 6.4Km | |
登山日 | 2016年6月11日 | |
天 候 | 晴のち曇り | |
同行者 | 山岸、岩月、中嶋(大)、洋平、中嶋(勢)、堀岡 | |
コースタイム |
錦港駐車場<途中休憩10分>(1時間35分)姫越山<休憩10分>(1時間40分)芦浜池 歩行3時間15分+休憩20分=3時間35分 |
芦浜池は今回が2回目である。1回目は2012年の春、岩月とテントを担ぎ、姫越山を超えて芦浜池に降りたった。だが、雨が降っていてシジミも取れない。テントを張る気が失せて、そのまま帰ってきてしまった。今回はそのリベンジでもある。 |
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富山から、七尾からの仲間が金沢に集まって中嶋号に乗り合わせ、三重県へ。目指すは失われた幻の集落「芦浜」。いつものように群馬から、名古屋からの仲間が合流する。 目指すは海岸の両側を岸壁に囲まれ、山を越えないと下界に出られなかった陸の孤島のような「芦浜」。 |
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芦浜への西側からの入り口は錦漁港である。午前中に到着して錦漁港の魚河岸にある食堂「魚々錦」(とときん)でランチを取った。 こういう店の料理は魚の新鮮さが命である。少しぐらい料理のやり方が荒くても問題ない。刺身定食などその典型と言える。 |
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津波の避難所が登山口となっている。いくつもある避難所はどこも標高30m。生活の知恵なのか経験からきているのか?どちらにしてもリスクが日常の中にある風景は平凡に暮らしている我々には新鮮に写る。 |
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37年間、中部電力の原発建設計画と戦ってきた錦漁港。町の戦いから県の戦い、そして国を巻き込んだ戦いへと推し進めた人たちの住む錦漁港。 その歴史をレポートの最後にウィキペディアから抜粋して転載した。(是非、読んでみてください) |
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いきなりの急登が続く。テントと缶ビールを12本積み込んだ山岸のリュックは20Kgを超えている。それなのに先頭に立って皆を引き離していく。最近始めた自転車のヒルクライムで鍛えた脚力は相当なものだ。 |
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姫越山の頂上に立って一息つく。後は降るだけ。まっすぐ降りてしまい、間違いに気づいて引き返す。まっすぐ降りてもよかったかもしれないが迷ったと思ったときは引き返すのが鉄則。(GPS奇跡参照) |
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芦浜の魅力はシジミである。入る人が少ないので直径5cmほどのシジミが取れると聞いた。前回もこのガセネタ(?)で訪れたのだった。結果、収穫ゼロ。敗退。 |
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池の近くに中部電力の管理小屋がある。ここに水場があるので水は持ち込まなくてもいい。 昭和20年代まで、ここに民家が数軒あった。砂浜なので漁港には出来ず、林業や炭焼きで暮らしていた。買い出し先は山を超えての錦漁港だったようだ。 |
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池に入ってシジミを探すが見つからない。池の底はヘドロ状態。生き物が住めるとは思えない。あきらめて海に潜る。サザエが採れるかもしれない。 |
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岸から5mほど離れるともう足がつかない深さの岩場で波もそこそこある。シュノーケルを持ち込んだ洋平はサザエを少し採ったがこちらはボウズだった。 |
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二人が海に潜っている間にシジミが採れていた。池の水が海へと流れ出す西側の砂浜にいたようだ。海なんか潜らずにシジミ採りをすればよかった。 |
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夕方から始まった宴会は深夜へと続いていく。いつものことだが、これでいいのだろうか? |
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6月12日 |
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所在地 | 三重県度会郡大紀町 | |
錦港登山口 | アプローチ | 国道42号線から県道22号線に入り錦港へ |
芦浜池標高 | 5m | |
最高地点 | 275m | |
標高差 | 270m | |
沿面距離 | 4.5Km | |
登山日 | 2016年6月12日 | |
天 候 | 曇り | |
同行者 | 山岸、岩月、中嶋(大)、洋平、中嶋(勢)、堀岡 | |
コースタイム |
芦浜池<途中休憩10分>(1時間45分)錦港駐車場 歩行1時間35分+休憩10分=1時間45分 |
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昨夜は蚊がいたらしく蚊をたたく音が隣のテントからも聞こえていた。洋平も虫除けを塗っていたのに刺されたと言っていた。裸で寝ていた私が刺されないのは何故?血がまずいから? |
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全長500mもある芦浜の海岸。交通の便がよければ最高の海水浴場になると思う。だが今は、片道2時間の歩行を強いられる。それに中部電力の私有地である。 たどり着ける人たちだけのプライベートな海水浴場でいいのかもしれない。 |
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帰路の入り口は前回とは違うところだった。ちょっとだけ距離が短いようだ。姫越山の周辺は地図に載っていない道が沢山ある。危ないので整理して欲しいと思うのだが中部電力の私有地では無理だろう。 |
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砂防堰堤のような構造物の上流から取り付いた。こんな海岸線に砂防堰堤は要らないだろう。津波のためのものにしては低すぎる。なんだろう? |
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中部電力はこの社有地を手放さない。いつかチャンスがあったら原発を建設するつもりなのかもしれない。 原発をこれ以上増やしてはいけない。今現在、日本にある3万トン以上の未処理の核廃棄物をどうするかも決まっていないのに... |
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下山口も津波の避難所になっていた。海抜は29m。横に浅間神社がある。こちらは富士山とは関係なく近くに浅間山があるかららしい。 |
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一番の近道を使って1時間半で錦漁港へ戻る。近くの温泉「阿蘇湯の里」で汗を流し、山海の郷「紀勢山海水産」で伊勢うどんをいただいた。不思議な味だった。 |
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中部電力は1963年、熊野灘への原子力発電所建設計画を公表し、翌1964年に芦浜地区を候補地を決定した。しかし1966年には地元の漁業関係者が衆議院科学技術振興対策特別委員会の視察を阻止する「長島事件」が発生するなど、計画当初から反対運動が行われていた。そのため1967年には当時三重県知事の田中覚が計画を棚上げした。 しかし1977年に国は芦浜地区を要対策重要電源に指定した。1984年には三重県も原発関連の予算を計上し、県議会も立地調査推進を決議している。1994年には、南島町古和浦漁協と紀勢町錦漁協も調査の受け入れに同意した。しかしなお各漁協で対応が分かれていた。 1996年には南島町芦浜原発阻止闘争本部が県民81万2335人の反対署名を北川正恭に提出した。これを受けて1997年3月に県議会は調査・建設の冷却期間を置くよう求めていた南島町の請願を全会一致で採択した。同年7月に県は中部電力に対して、立地予定地からの社員引き上げを正式に要請し、1999年まで冷却期間となった。1999年には北川が国内やドイツの原発を視察したほか、南島町、紀勢町から意見聴取を行っていた。 2000年2月22日、北川は県議会で「計画の推進は現状では困難、白紙に戻すべきだ」と表明した。その理由として、計画発表から37年もの間地元住民を苦しめてきたのは県にも責任があるとした。また「電源立地にかかる四原則三条件[注 1]」を満たしていないと述べた。当時、県民の53%、南島町民の86%が原発に反対していた。一方で紀勢町では原発推進派の勢いが勝っていた。 中部電力としては原子力発電を浜岡1か所に頼っているという現状があり、是が非でも芦浜地区に原子力発電所を建設したいという思惑があった。しかし知事の発言を受けて、当時中部電力社長の太田宏次は計画を白紙に戻すことを表明した。 国は2010年までに原発を16から20基増設することを計画していた。しかし1999年に発生した東海村JCO臨界事故と芦浜原発の白紙撤回は、この計画に大きな影響を与えたと言われている。 |
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