フィリピン2日目(2016年3月21日) |
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なんとかホテルにたどり着き、チェック・インを済ませた。何故かデポジットを請求されたが持ち金がない。空港で両替した1万円はすべて悪徳タクシーにとられてしまっている。翌日に払うということで部屋に入れさせてもらった。 残り金で近くのコンビニ(セブン・イレブン)でビールを仕入れて遅くまで飲んだ。フィリピンの初日。 |
少し、二日酔い気味で目が覚めたら8時だった。特に何処へ行くという予定もないのでノー・プロブレム。 とりあえずマニラ湾に向かう。山の生まれだったからか海は好きだ。子供の頃のお盆休みの海水浴が大好きだった。海が見られるのは年に1回だけ。 |
あっけなく海に到着する。こじんまりと魚が干してある。個人で消費するには多すぎる。売るのだろうか? |
海岸線に沿って北上する。気温は30度超で暑い。同じ風景に飽きて街に入った。海岸線に沿っている道路を北上する。 道路にはアメリカ軍のジープを改造したといわれているミニバス(ジプニー)がいっぱい走っている。 |
タクシーも多い。ほとんど(100%?)がトヨタ製の車だ。街を走っている車の90%が日本製。他はフォードとヒュンダイ(韓国)を見かける程度。 |
ジプニーはトラックのような大きな物から軽四を改造したようなミニカーまでいろいろある。好きなところで乗り降りできる。乗ったらドライバーに金を払う。後ろの方に乗ったら手渡しでドライバーまで金を送るらしい。意外と紳士的なルールである。 |
他に、オートバイの横にかごをつけたトライシクルという乗り物も沢山走っていて、地元の人も使っている。歩いていると寄ってきて声を掛けてくる。言葉も分からないし面倒くさいのですべて無視。 |
だずね歩いた両替所をやっと見つけた。小さくて分かりにくい。鍵がかかっていて中からのぞかれる。円をペソに換えたいと言ったら開けてくれた。 |
欧米にも団体旅行があるらしく、団体さんを時々見かける。ベトナムでシクロにのっていた団体さんは欧米系がほとんどだった。 |
リサール公園を抜けてイントラムロスへ向かう。マニラで一番見てみたい街だ。 スペインの統治時代に城塞都市として栄え、大学、病院、12の教会があった。第二次世界大戦で日本軍とアメリカ軍との戦いで多くを破壊されてしまった街である。 「反省」という軽い言葉では言い尽くせないものがある。控えめな気持ちで歩いた。 |
マニラ大聖堂は第二次世界大戦で破壊されたが1954〜1958年に再建された。神奈川県知事からの援助があったという不思議な話が残っている。4500本のパイプを持つパイプオルガンは東洋一である。 |
観光地なので馬車やトライシクルの客引きがしつこい。無視するのが一番いい。言葉を返すと何処までも付いてくる。 |
イントラムロスは歴史を持った城塞都市なのだが、ちょっと路地に入ると雰囲気が怪しくなる。トライシクロの運転手がそっちへ入ったら危ないと言っていたところ。貧困層の人が暮らしているような観光客のいない街となる。カメラを向けるのが怖くて写真を撮れなかった。 |
ホテルのあるマテラの街に戻る。ここはマニラの中心地かもしれない。フィリピンのすべてがありそうだ。 いくつもの銀行や大きなホテル、ごちゃごちゃにたむろした商店。縦横無尽に走り回るジプニー。フィリピンのパワーが爆発している。 |
この国も肉はお日様の下で売られていた。高く積まれた卵もお日様にあたっている。大丈夫なのか? 下に積まれた卵はいつからのもの? |
ホテルのすぐ近くに一軒だけあった屋台で夕食をとった。ヌードルを注文したらスープのないものしかないと言う。それでオーケーとこたえる。出てきたのは焼きそばだった。楽しい主人だった。「明日も来るよ」と言ってホテルに帰った。 |
コンビニ(セブンイレブン)も近くにあるので何時でもビールを仕入れられる。部屋に冷蔵庫がないのでとりあえず3本買った。 |