天蓋山 |
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所在地 | 飛騨市神岡町 | |
登山口 | アプローチ | 富山市より車で2時間 山之村 |
登山口標高 | 933m | |
標 高 | 1527m | |
標高差 | 単純594m | |
沿面距離 | 往復6.5Km | |
登山日 | 2016年10月26日 | |
天 候 | 晴 | |
同行者 | 単独 | |
参考コースタイム 岐阜県の山(山と峡谷社) | 登山口(2時間30分)天蓋山頂上(1時間50分)登山口 合計4時間20分 | |
コースタイム | 登山口(1時間25分)天蓋山頂上<休憩1時間15分> 天蓋山頂上(55分)登山口 歩行2時間20分+休憩1時間15分=合計3時間35分 |
行きたい山が見つからないとき、思い浮かぶ山がいくつかある。天蓋山はそんな山のなかのひとつである。 登山道も風景も知り尽くしていてドキドキすることは何もない。そんな山でも山の中にいるという安心感(癒やされの気持ち?)が心地よい。 |
山之村隧道を抜けて伊西から森茂へと向かった。双六川から山吹峠を越えた方が早かったのに、うっかりしてしまった。謎の池へ行ったときのイメージがそのまま残っていたようだ。 高原の駅「天の夕顔」の前の天蓋山登山口の駐車場に車を停める。富山ナンバー、飛騨ナンバーに交じって和歌山ナンバーの軽四があった。 |
いつもいきなりトップモードに入る癖がある。意識的におさえながら行く。もどかしく感じるが、その方が結果的にうまくいく。 オフ・シーズンで誰もいない山之村キャンプ場のバンガローの中を行く。400mほど行くとグランドのような広場がある。そこが登山口である。 |
一つ目の沢を左岸から渡り、二つ目の沢も左岸から渡る。三つ目の沢を右岸から渡ると急登となる。急登はきついが、その分、標高を稼かせげるので好きだ。 |
急登が終わったあと、頂上まで小さなピークがいくつかある。その中の2番目のピークが「すずめ平」。すずめ平は北アルプスの尾展望台となっていて、剱岳から笠ヶ岳まで見渡せる。 登山道の標識で「通り抜け出来ません」と言うのは珍しい。見たのは初めてだと思う。なんとなくユーモアが感じられて面白い。頂上の「登頂おめでとう」も面白い。 |
天蓋山頂上には和歌山から来た4人組がいた。記念写真を撮って帰るところだった。昨日は籾糠山に登ったとのこと。遠くから名もないような山に来ていただいて、ありがとう。 だが和歌山から普通の軽四に4人も乗ってくるなんて、よほど車の旅に慣れているのだろう。(リュックや登山靴だけでもかなりの荷物になる) |
頂上には先日亡くなられた田部井淳子さん直筆の標識がある。田部井さんには立山でTシャツの背中にサインをいただいたことがあった。サインはしない主義だというのを無理矢理書いてもらったものだった。(そういえばあのTシャツは、どこへいったのだろう?) |
頂上で過ごす1人の時間が大好きだ。誰もいない頂上にいると、時間が消えていく。 数分しかたっていないのか、数十分過ぎたのか...何かを考えていたのか、何も考えていなかったのか... 今までの人生に起きたことが脈絡もなく繋がって蘇ってくることもある。先が長くないのかもしれない。 |
私が生まれ育った「大津山」は標高850mぐらいの、山の斜面を削って出来た街(三井金属の社宅だけで成り立った人口1000人の街)だった。冬は家が埋まるほどの雪が降り積もった。そんな雪国で生活する人は皆、春を待つ。 雪解けの土手から漂ってくる春の(土の)香り、鮮やかな新緑の木々達。木の葉から漏れてくる春の光。すべてが輝く春。そんな春が大好きだった。 それと対照的なのが秋。落ち葉を踏みながら歩く山にはすべてが終わっていくような寂しさがある。 だが、秋が嫌いという訳でもなかった。今日のような山には、やさしい気持ちにさせてくれる何かがある。 寂しいときや悲しい気持ちになったとき、秋山を歩くだけで心が安らいだ。その頃から1人で歩くのが好きだった。 (子供であっても悲しい事や寂しい時があった事を今の大人達は忘れてしまっていないか?) |