茂住谷 |
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所在地 | 飛騨市神岡町 |
アプローチ | 国道41号線茂住 |
登山口標高 | 300m |
標高 | 870m |
標高差 | 単準570m 累計700m |
沿面距離 | 往復14.5Km(GPSデータより) |
登山日 | 2018年5月1日 |
天 候 | 晴れ |
同行者 | 単独 |
コースタイム | 茂住(35分)大津山道<往復20分>(1時間10分)茂住谷神社<休憩35分>(30分)最終地点<休憩50分>(55分)餅ヶ壁(1時間15分)茂住 登り2時間25分+降り2時間20分=歩行4時間45分 歩行4時間45分+休憩1時間25分=合計6時間10分 |
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茂住から大津山への道の偵察に再度挑戦した。茂住で通行止めになっていた林道が開通しているかもしれない。 |
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行ってみると前回と同じ場所で通行止めになっていた。車を駐めて山道から入る。ところが30mも歩かないうちに道が分からなくなってしまった。年配者(イベントに参加の)が歩ける道ではない。林道に戻る。 |
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次の山道と交差するところまで林道をたどる。そこから山道に入った。ここも藪が酷い。100mほどたどったところで道を失う。探しても見つからない。林道に戻る。 |
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林道をたどり、コゴミ採りに目的を変更する。前回は雪が残っていて早すぎた。今回は遅いような気がする。 林道沿いにある三井金属の抗口跡。私の子供の頃に父が大津山から通っていた。そのために真冬でも大津山からここまでジープが走っていた。 |
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排砂ダムの下流に新しく積み上げられた土砂は「カミオカンデ」の横に重力波を観測するための「カグラ」のトンネルを掘ったときのもの。 |
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林道の通行止めは工事のためだった。工期は6月30日まで。「大津山さよなら登高」のイベントは5月20日の予定だ。車で通るのは無理。 その日は日曜日なので工事はやっていない。歩いてなら通れるかもしれない。 |
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大津山への分岐から左に別れて茂住峠への林道に入る。道路の脇にコゴミがちらほらと見えてくる。だが、やはりちょっと遅かった。雪解けの遅そうなところを探して少しだけ採った。 |
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茂住谷集落の神社に寄る。何年も放置されたままのようだ。昭和30年代に茂住谷のほとりに掘っ立て小屋が1軒だけあった。恐ろしいおばあさんが1人で住んでいた。名前は「おこまばばあ」。近づくといつも怒鳴られていた。本当に怖かった。 あれから半世紀。集落があったという話は聞いていたが、茂住谷のことはほとんど知らない。以前に神社を見つけたときに人が住んでいた事を確認できただけだった。 |
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神社からさらに下に向かって降りていくと墓のようなものが見えた。近づいてみると墓(だと思う)の他に石仏があった。倒れたもの、首のないもの、埋もれかけているもの、沢山転がっている。 |
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ここは単なる墓場ではない。何だろう? 石仏達の墓場か? 集落が消え去っていくとき、最後の住人が離ればなれに点在していた石仏達を集めたのだろうか? 確かめるべく人たちはすでに天国に行ってしまっていて誰もいない。 ここも歴史の中に埋もれていく風景の中のひとつになるのだろう。 |
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茂住谷の対岸をのぞめば六谷山の近くにある反射板が見える。反射板は今は使われていない。これもまた歴史の中に埋もれていく風景のひとつに... そんなわけないか。冗談です(^_^) |
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![]() シャガの学名は「Iris Japonica」で「日本の虹」という意味 |
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