横 岳 |
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所在地 | 飛騨市神岡町 |
アプローチ | 跡津川沿いの佐古から |
登山口標高 | 640m |
標高 | 1623m |
標高差 | 単純983m |
沿面距離 | 往復10Km(GPSデータより) |
登山日 | 2018年3月18日 |
天 候 | 晴れ |
同行者 | 単独 |
コースタイム | 佐古集落(35分)林道の祠(1時間35分)県境尾根(1時間30分)頂上<休憩15分>(25分)1330m<ランチ45分>(45分)林道の祠(20分)佐古集落 登り3時間40分+降り1時間30分=歩行5時間10分 歩行5時間10分+休憩1時間=合計6時間10分 |
2014年に敗退した横岳がずっと気になっていた。何故、敗退したのか? よく解らないままになっている。どこかでけりを付けなければ気がすまない。 |
距離的にみても標高差でみても難しい山ではない。若干、降りのルートファインディングが気になる程度だ。トレースがあれば問題ない。 |
跡津川集落の先に立入禁止の標識が置いてあった。歩いて入ろうかと思ったが立入禁止というのは車も歩行も同じだ。車の方が安全なくらいだ。 「事故があっても責任は持てません」と書いてある。入らせてもらった。責任は自分がとる。 |
佐古集落の先のヘアピンカーブで車止めがしてある。これは通年のもの。車が1台駐められていた。 身支度を終え、8時20分、登山開始。道路をたどらずに斜面に取り付いてショート・カットする。 |
車道を700mほどたどると橋がある。橋を渡ったところから旧道をたどって上の車道に出る。そこに祠がある。 雪が残っていたのでそこから尾根に取り付いた。 |
雪解けが進んでいて薄くなったところが多い。午前中は雪が締まっていて歩きやすいが降りでは踏み抜くところが多そうだ。 帰りは大田和集落に降りようかとも考えた。だが、途中に急斜面がある。デブリで林道が埋まっていたら通れない。登り返しは避けたい。 |
標高1000mあたりから平らな雪原と急登が繰り返し現れる。どちらも広いので帰りのルーファイが難しそうだ。 左右どちらに間違えても最終的に跡津川に降るので大丈夫だが、どちらの支沢も深そうだ。単独なので危険なコースには入りたくない。 |
標高1150mから広い雪原に出る。2014年に、敗退したところだ。横幅が最大で700mぐらいあり、端から端まで見渡せない。 ここは分水嶺になっていて、左側(西側)が長棟川の支流で右側(東側)が跡津川の支流だ。 |
標高1200mで小さな尾根に出る。小さいが県境の尾根だ。この尾根の左側に流れている小さな沢は富山県側の長棟川に流れ込んでいるのか? それとも跡津川か? |
標高1300mあたりからいくつも左側に尾根が現れてくる。そちらへ迷い込んでしまうと全て富山県側の長棟だ。時々振り返りながら地形を頭に記憶させる。長棟に迷い込んだら最悪。 |
遠くに見えていた左からの尾根が近づいてくる。合流すれば頂上まで250mだ。 最後の急登を登り切って稜線に立つ。風が強い。頂上付近は新雪が残っていのか雪煙が舞っている。 |
頂上が近づく。立木がない。何処が頂上か分からない広い雪原。やがて雪面が降り始める。このあたりが頂上らしい。12時00分、頂上に立つ。 本当に何もない。あるのは360度の景色と強い風だけ。ランチをとる場所はない。 |
風下側(北側)にまわってみる。隠れるところがなく風は強い。風のないところまで降る事にする。もういちど頂上に戻った。リュックを降ろす事もなく、12時15分、頂上を後にする。 |
1330mまで降る。嘘のように風がない。雪質がよく急降なので標高差300mを滑るように25分で降った。 今回は一度敗退した山だからか、少しプレッシャーがあったようだ。軽量化を計って、ストーブと鍋を軽くした。 |
降るにつれ雪が重くなってくる。踏み抜くことも多くなってくる。雪の多いところ(厚いところ)を選びながら慎重に降った。 |
右側に深い谷が見えてきたと思ったら尾根の先に祠が見えた。トレースがほとんど見えなくなっていたのでほっとする。 林道に出て、ゲイト(駐車場所)まで「ヤッタ感」をかみしめながら歩いた。リベンジ達成。佐古のゲイト到着14時30分。 |
横岳は西新山に似た広い頂上を持った山だった。まわりに灌木がないので西新山よりも視界が優れている。広く感じるのもそのせいかもしれない。一度は訪れてみる価値のある面白い山である。 |
橋本廣さんの「とやま山紀行」(1996年発行)の山行記から抜粋 ガスがかかった広い稜線で、どこが横岳頂上が分からないまま通り過ぎてしまった。 大多和集落に向かっているつもりで北側の支尾根に迷い込んで長棟側に降りてしまった。 ガスが引いた瞬間に下方に林道と左側に高幡山らしい山が見えて間違いに気づいた。 谷と支尾根のアップダウンをくり返して、ようやく県境の稜線にもどる事が出来た。 視界不良時の雪山の難しさをつくづく感じさせられた失敗山行きであった。 富山勤労者山岳会(平成元年4月14日) |