東笠山



東笠山の風衝草原

所在地富山市(旧)大山町
東笠山 アプローチ有峰林道で祐延ダムへ
登山口標高1405m
標   高1687m
標高差単純282m
沿面距離往復3Km(GPSデータより)
登山日2020年9月26日
天 候曇り
同行者山岸、岩城、掘、岩月、中嶋(勢)、松本
コースタイム 祐延ダム(1時間25分)頂上<休憩30分>(1時間35分)祐延ダム
登り1時間25分+降り1時間35分=歩行3時間
歩行3時間+休憩30分=合計3時間30分



山旅倶楽部二万五千図


山旅倶楽部一万二千図


カシミールプロパティ


 東笠山は不思議な山である。その素晴らしさと知名度の低さがアンバランスなのだ。急峻な沢を詰め、藪を漕いだ後に突然広がる草原には息をのむ。だが、それを知る人は少ない。
 登山道がないからか? 登山道を作らないのはヒメシャクナゲの群生を守るためではないかと書かれた本もある。祐延ダムの上を歩くのが問題なのかもしれない。

 歴史的に興味深いのは鎌倉街道が通っていた山だと思われていることである。鎌倉街道は1200年代に、幕府のある鎌倉に至る街道として全国に巡らされていた。
 北陸からは上滝から有峰を通って山ノ村に入り、平湯から安房峠を越えて信州に抜けた道である。

 加賀の前田藩が参勤交代のおりに(いざというときのための抜け道の調査を兼ねて)2000人の家来を連れて鎌倉街道を通って加賀に帰ったとの記述もある。
 (平井山荘のご主人は鎌倉街道の踏査に執念を燃やし、藪山に入り続けている。)


小口川料金所

道幅が狭いので信号機が何カ所かにある

 登山は往復3時間ほどなので、宿泊予定の平井山荘前(粟巣野)に8時半集合とした。群馬や名古屋からの参加もあるので遅くした。それでもちょっと早いかもしれない。


祐延ダムの駐車場に車を駐める

船の名前が...

 9時15分、小口川料金所を通過する。10時10分祐延ダムを渡って、10時17分、沢に取り付く。あっけない。


登山者はここから入るしかない

ダムを渡り


点検道を250mほど降ると沢に出る

この沢を詰める

 沢の途中に石垣で作られた堰堤の跡や鉄管が残っていた。祐延ダム工事中の飯場用の水源地として使われていたのかもしれない。


途中にある人工物

石垣もある

 沢は何カ所も伏流水になっていて、水流があったりなかったりだった。水流のあるところの石はよく滑った。


全ての石がよく滑る

何カ所かにトラナワが張ってあった

 沢登りが終わると灌木と笹が交じった平坦な藪漕ぎになる。オオシラビソもある。刈り開けた跡があり、ピンクのテープもあって迷うことはない。


沢登りが終わったあとは藪漕ぎとなる

 藪を抜けると突然、草原が広がる。このギャップが東笠山の魅力、真骨頂なのだ。草原は広くはない。50m×150mぐらいしかない
 それなのに突然目の前に広がる景色に我を忘れる。誰かが昨日まで住んでいた隠れ里に迷い込んだような錯覚に襲われる。ここは何処だ? 何なんだ? と思ってしまう。


藪を抜けると突然草原が広がる


沢と藪とのギャップがすごい

花の季節に来てみたい


池塘があった

イワショウブ

 東笠山から西笠山へは東笠山の沢を100m降って西笠山への沢を100m登る。距離は片道1400m。往復すると3時間ほどかかる。  三角点があるだけで展望もきかない山なので今回は行かなかった。


南西方向へ少し降ってみた


下山開始

テープがなくても踏み跡はしっかりついている

 食事をとれる場所がないので小休止の後、下山を開始。藪を戻り、沢を降る。滑る沢は登りより降りの方が危ない。実際、登りより時間がかかった。


降りは登りより怖い

 点検道まで戻ってホッとした。登山道のない山に仲間を誘ったとき、一番心配なのが事故である。何があっても全責任は自分にある。


無事点検道まで戻る

ダムを渡らせてもらう


祐延ダム全景


水門の機械装置

ダムより下流をのぞむ

 無事最後の核心部(ダムの柵)を超えて車に戻る。制限速度20Kmの小口川線を走り、大多和峠でランチを取った。


最後の核心部を超える

小口川線は全て制限速度20Kmです

 今回の山行きにはもう一つの目的があった。有峰ダムの水量が少ないので宝来島が陸続きになっている。普通は船でしか行けない島である。
 ここへ歩いて上陸して有峰神社を見に行く(参拝しに行く)ことである。


今回のもうひとつの探検は宝来島


有峰湖の貯水量が少ないので歩いて上陸できる

 宝来島は有峰集落が有峰湖に沈む前は吉事山(きちじやま)と呼ばれた小さな山だった。ダムが完成して湖が出来たときに島になってしまった。


こういうアングルで見るとすごみを感じる

宝来島の斜面をトラーバースしながら北進する

 島の名前が吉事島ではなく宝来島になったのは何故だろう? 神社の名前が吉事神社でもなく宝来神社でもない、有峰神社となったのも不思議だった。


普段は歩けないところを

神社の入口を探しながら行く

 遠くからのぞむと宝来島のむき出しになった斜面が急に見えた。だが実際はそれほどでもなかった。
 神社は島の北側にあると聞いていたので、島の北側へと斜面をトラバースする。
 島の一番北側に階段を発見した。階段の下側にも道らしいものがあった。ここが神社への入口(船着き場)になっているらしい。


階段を発見

ここが船着き場なのだ

 階段を登ると鳥居があった。鳥居をくぐって進む。参道は整備されているようで荒れていない。北側にあると思っていた神社は島の頂上にあった。当たり前か?


階段を登り切ったところにある有峰神社の鳥居

参道(?)をたどって行く


宝来島の頂上に建っている有峰神社

 有峰神社は村の神社を移設したものか、新たに作ったものか分からなかった。名前から判断すると北電が新たにつくったもののようだ。
 木造ではない。鉄筋コンクリート造のようだ。個人的な想いだが、建物が大きすぎる。もう少し小さくていいから木造にして欲しかった。
 村人の記憶が消えていく頃に神社も消えていくのが、いちばんいい。


竣工記念のために建立された神社?

建設業者の名前が大きく書かれているのはそのためか

 狛犬の裏に建立者と建立年月(昭和56年10月)、建設業者名が書かれていた。建立目的が離村していく村人のためだと思っていたのに竣工記念だったとは...


神社の前で集合写真

 桂書房から出版されている「有峰の記憶」という本があった。消えて行く有峰だけで1冊の本になっている。手に取ってみたことはあるが買わなかった。
 もう本屋の店頭にもアマゾンにもない。手に入らない本になってしまった。


探検終了

水の中に沈んでいるので40年経っても朽ちない木

 父の古里「長棟」も私の古里「大津山」も行こうと思えば行ける。だが、「有峰」は湖の底に沈んでしまった。行けない古里になってしまっている。寂しいだろう。


ふと、来てはいけないところに来てしまったような気がした

 


いつもなら船でしか上陸出来ない宝来島