船峅山西国三十三観音霊場 |
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所在地 | 富山市大沢野舟倉 | |
船峅山西国三十三観音霊場 | ||
登山口 | 160m | |
最高点 | 278m | |
標高差 | 単純118m 230m(GPSデータより) | |
沿面距離 | 2.1Km(看板より) 3.6Km(GPSデータより) | |
登山日 | 2020年3月19日 | |
天 候 | 晴 | |
同行者 | 山の神 | |
コースタイム | 歩行1時間40分+休憩40分=2時間20分 |
以下の観音像の写真は2016年12月19日に撮った写真です |
那智山 青岸渡寺 如意輪観世音菩薩 |
紀三井山 金剛宝寺護国院 十一面観世音菩薩 |
風猛山 粉河寺 千手千眼観世音菩薩 |
槙尾山 施福寺 十一面千手千眼観世音菩薩 |
紫雲山 葛井寺 十一面千手千眼観世音菩薩 |
壺阪山 南法華寺 十一面千手千眼観世音菩薩 |
東光山 真珠院 竜蓋寺 二臂如意輪観世音菩薩 |
豊山 長谷寺 十一面観世音菩薩 |
興福寺 南円堂 不空羂索観世音菩薩 |
明星山 三室戸寺 千手観世音菩薩 |
深雪山 上醍醐寺 准胝観世音菩薩坐像 |
岩間山 正法寺 千手観世音菩薩 |
石光山 石山寺 勅封二臂如意輪観世音菩薩 |
長等山 園城寺 如意輪観世音菩薩 |
新那智山 観音寺 十一面観世音菩薩 |
音羽山 清水寺 十一面千手千眼観世音菩薩 |
補陀洛山 六波羅蜜寺 十一面観世音菩薩 |
紫雲山 頂法寺 六角堂 如意輪観世音菩薩 |
霊ゆう山 行願寺 千手観世音菩薩 |
西山 善峰寺 十一面千手千眼観世音菩薩 |
菩提山 穴太寺 聖観世音菩薩 |
補陀洛山 総持寺 千手観世音菩薩 |
応頂山 勝尾寺 十一面千手観世音菩薩 |
紫雲山 中山寺 十一面観世音菩薩 |
御嶽山 清水寺 十一面千手観世音菩薩座像 |
法華山 一乗寺 聖観世音菩薩 |
書写山 圓教寺(円教寺) 六臂如意輪観世音菩薩 |
成相山 成相寺 聖観世音菩薩(木造・平安期) |
青葉山 松尾寺 馬頭観世音菩薩 |
巌金山 宝厳寺 千手千眼観世音菩薩 |
姨綺耶山 長命寺 千手観音、十一面観音、聖観音 |
繖山 観音正寺 千手千眼観世音菩薩 |
谷汲山 華厳寺 十一面観世音菩薩 |
江戸時代の『三州奇談』(堀麦水)や『肯搆泉達録』(野崎雅明)には、姉倉姫の神話が紹介されているという。 姉倉姫は船峅山(富山市舟倉の一帯)を本居とした女神で、能登石動山の伊須流伎彦と夫婦の間柄であったが、伊須流伎彦が杣木山(石川県中能登町の能登比v社のあたりではないかと廣瀬誠氏は推測)の能登姫と通じたため、姉倉姫は激怒し、この三角関係のもつれから、越中・能登は戦乱となった。能登姫は海水を巻きおこして潮水を吹きかけ、姉倉姫はありったけの小石を投げつけたため、船峅の上野には小石が一つもなくなったという。布倉山(立山町横江集落背後の山。「尖山」)の布倉姫も姉倉姫に加勢して戦った。 この騒動を聞いて、出雲から大国主ノ神がやってきて、戦乱を鎮め、関係者を処罰した。伊須流伎彦と能登姫は海浜にさらして重く罰され、姉倉姫は呉羽の小竹野に謹慎させられ、機織の仕事で罪を償わされた。姉倉姫が機を織っていると、窓から蝶が舞い込んで、姫の仕事の手助けをした。この蝶は蜆ケ森のシジミ貝が変化したものだという。ちなみに、近くの水田の一隅に塚があり、これが蜆ケ森で、白髭神社がある。もともと縄文時代の貝塚だという。 数年後、姉倉姫が許されて故郷の船峅に帰るとき、無数の蝶が姫を慕って舞いながらついていったと伝わる。こうした由緒があることから、本居地の船峅にも、流謫地の小竹(呉羽)にも姉倉姫神社が祀られているのだという。 参考文献/「神通川と呉羽丘陵 ふるさとの風土」(廣瀬誠著・桂書房) |