金剛堂山 |
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所在地 | 富山市八尾町、南砺市利賀 | |
金剛堂山 | アプローチ | 八尾町から国道471号線を南下 |
登山口標高 | 780m | |
標 高 | 1638m | |
標高差 | 単純858m | |
沿面距離 | 往復8.4Km(GPSデータより) | |
登山日 | 2020年6月8日 | |
天 候 | 晴れ | |
同行者 | 単独 | |
コースタイム |
登山口(1時間30分)稜線<休憩5分>(30分)頂上<休憩1時間>(1時間5分)登山口 登り2時間+降り1時間5分=歩行3時間5分 歩行3時間5分+休憩1時間5分=合計4時間10分 |
金剛堂山は富山市と南砺市にまたがる標高1650mの山である。一等三角点があり、日本二百名山にも選ばれているので県外からの登山者も多い。 昔は富山藩で一番高い山だった。第10代富山藩主「前田利保」が登ったのはそのせいかもしれない。その時に詠んだ歌の歌碑が中金剛(標高1650m)に立っている。(中金剛は標高が一番高い山なのにそれしかない) |
2005年11月23日に八尾町から登ったことがあった。予備知識もなく、頂上には20〜30cmの雪があったので登山道がよく分からなかった。 それ以来、廃道に近い登山道だと思っていた。だが最近、ちゃんとした道があることが分かった。 |
国道471(472)号線を南下して大長谷温泉から4Kmほど入ったところで右に入る。さらに400mほど入ると大長谷第四発電所がある。その先の猿越ダムを渡ったところが登山口である。 車はダムの先にも数台停めることが出来るが、ダムの手前に駐めた方がいいだろう。 |
登山道は最初の100mほどは林道を歩いているような快適な道なのだが、途中から一変する。右からの土砂崩れが2カ所で道を塞ぎ、雑草が道をおおう。 不安を感じながら西瀬戸谷に沿った道を行く。600mほど進んだヘアピンで川沿いから離れる。そこからは歩きやすい道となった。 |
この裏道は栃谷からの登山道より快適かもしれない。まず道幅が広い。斜度も一定だ。10回以上繰り返すヘアピンも車が曲がれくらい広くとってある。轍(わだち)のような跡もある。以前は車道だったのかもしれない。 |
ジグが終わってからなだらかな尾根筋の登山道となる。雰囲気は林道だ。つけられた目的が金剛堂山への登山道だけというなら、こんな広い道幅は必要ない。 |
いったん沢を渡るところで登山道が不明瞭になる。ほぼ水平に行って登山道を見つけた。そのあとも標高1200mあたりまで車が走れそうな道が続いた。 |
支尾根に出たところで視界が開け、金剛堂山らしきものが見えた。いきなり頂上が見えるわけがないと思っていたが、後日カシミールで確かめてみたら頂上だった。 |
標高1200mあたりで道幅が細くなり、急な直登となる。何カ所にもトラナワが張ってあった。 裏道らしくなってきたと妙に安心(?)しながら登った。 |
10時40分、小ピークに出る。そこから見える山は間違いなく金剛堂山だ。5分の休憩を入れる。 いったん降って急登を登りきり、旧スノーバレー利賀からの稜線と合流する。 |
11時15分、頂上に出る。誰もいなかった。金剛堂山は頂上を独り占めしたからといって、うれしくなるような山じゃない。(何故だろう?) 気を取り直して表示板の上でラーメンを作る。そこへ中金剛から4人組が降りてきた。三重県からの日帰りだという。彼らも表示板をテーブル代わりに使う。 さらに女性が2人降りてきた。八尾からだという。表示板はランチテーブルと化した。 |
前金剛に建っている祠には「金剛蔵王権現」が祀ってあるとのこと。雪の多い年はこの祠が雪に埋まって、何処が頂上か分からなくなってしまう。 そんな冬に単独で頂上に立つと、誇らしい気分になる。子供じみているが、そんな自分が嫌いではない。 |
12時15分、頂上を後にした。登山道脇のタケノコも採りながら降る。13時20分、ダム(登山口)に戻った。 |
金剛堂山は白木峰と似ていて頂上付近は「風衝草原」となっている。標高が低いのに高木がないので視界がいい。池塘もあり、高山植物も沢山咲いている。沢山の人に知ってもらいたい(登ってもらいたい)山である。 |
一番標高の高い中金剛に富山藩第10代藩主前田利保の歌碑がある。「飛騨木曽信濃の峰々みな見えて西はのこさぬ白木峰かな」 「金剛堂山」という山名は加賀藩のもので、富山藩では「西白木峰」と呼んだ。金剛堂山から見る白木峰は東側(正確には北東)なので、歌の意味が解らない。 |