鎌倉街道(水須地区)



水須集落跡の謎の穴

所在地富山市大山町
鎌倉街道(水須地区) アプローチ小口川林道をたどる
登山口標高630m
標   高715m
標高差単純85m
沿面距離400m
登山日2020年12月1日
天 候曇り
同行者総勢11名



小口川をたどる


水須集落跡の探索


 古道としての鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、鎌倉時代の関東近郊の主要道の意として用いられている。
 1192年、源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、支配力強化のために鎌倉を中心に東国の各地域を結ぶ新たな道路整備に力を注ぎ、次々と放射状に延びる道路網が建設された。
 東国15カ国の御家人が番役として幕府に順番に奉仕したため、おおむねその範囲にわたる。
 それだけではなく、古代朝廷では十分支配が及ばなかった東北地方や蝦夷地まで交通圏が拡大したことや、西は越中、飛騨、信州から東国を経て鎌倉に向かう道筋が何本か明らかになっており、鎌倉街道あるいは鎌倉道と呼ばれる道はかなり広範囲に数多くあったとみられている。 (ウィキペディアより)


水須集落に一番近いところに車を駐める

 鎌倉街道の上滝から水須手前までは粟巣野の平井さんが調べ上げている。今回は水須から先の探索だ。それと水須集落を記録に残す作業も同時に行った。
 水須の記憶を残す最後の住人、瀬川さんに同行してもらう。遠くは長野県や岐阜県からも集まった。鎌倉街道には人を引きつける何かがあるようだ。


長野県や岐阜県からも集まった総勢11名

草を刈りながら進む

 


水須出身の瀬川さんが案内してくれた

集落にあった2枚の田のうちの1枚の田の石垣

 


トイレだったのではという事だったが大きすぎる

 


生活の痕跡を探る

 


墓を発見

戒名から浄土真宗と判明(神岡の都竹さん談)

 


集落より先の鎌倉街道を発見(薬研堀の道)

 


この崖から先は道跡が不明だった

 


林道まで戻って解散