雨乞岩ラスト



 

所在地富山市大沢野
小佐波御前山 アプローチ神通川第2ダムから神通川左岸の芦生へ
登山口標高180m
標   高754m
標高差単純574m 累計780m(GPSデータより)
沿面距離往復8.2Km(GPSデータより)
登山日2020年3月19日
天 候晴れ
同行者単独
コースタイム 芦生(25分)探検コース取り付き(35分)探検コース取り付き(25分)山平(55分)小佐波御前山<休憩1時間10分>(20分)山平(20分)今生津(20分)芦生
登り1時間45分+探検35分+降り40分+県道20分=歩行3時間20分
歩行3時間20分+休憩1時間10分=合計4時間30分



山旅倶楽部二万五千図


山旅一万二千図


核心部の拡大


カシミール・カシバード


カシミール・プロパティ


 下からたどる雨乞岩に課題が残されたままになっている。ローソク岩コース(Bコース)から登れたのだが、Cコースが未解決のままになっている。大岩壁の下を回り込めるかどうか。それを確かめるまで落ち着けない。


江戸さんの家の前に車を駐めさせてもらう 

ここから取り付く

 今回のようなちょっと危険を伴う所へは人を誘えない。何かあったときに責任がとれないからだ。(法的な責任だけではなく...)
 単独は危険だと思うのだが、選択肢はそれしかない。


竹藪を抜けて


船倉用水に出る

船倉用水を横切る

 芦生登山道からの取り付き点を前回の偵察時より上から入ることにした。前回は40mの滝の横に出てしまい、その脇を直登したが、大岩壁の下で行き詰まった。


途中で左に入る(テープで印を付けた)

山の中に石垣があった

 冬季の藪は草が生えていないので、歩きやすい。順調に左へとトラバースしながら斜面を登る。沢の手前に石垣が現れた。家があったのか、田があったのか、分からない。その歴史に思いを馳せると興味は尽きない。


こんな山の中腹に何のために作ったのか?


沢は意外に深く渡れそうな所を探す

 沢に出てみると意外に深くて簡単には渡れない。渡れそうな所を見つけ、沢に降り立ってみると上流に滝があった。沢を越えたところから岩壁が見えてくる。


沢に降り立った上には3mほどの滝があった


岩壁が見えてくる

想像以上に急だ

 岩に近づくと予想通りの草付きが出てきた。だがそれがススキだとは予想していなかった。
 足場にするには滑りやすく、ホールドにするには心許ない。つま先をススキの間から地面に蹴り込みながら岩壁に向かった。


枯れたススキはすぺりやすい


真上は30mほどの壁

 ザイルを持ち込んだが単独で横に伸ばす技術(知識)を持っていない。しばらく考えたが諦めた。
 当初の目的は「なんとしても下から登る」というのではなく、「何故下から登らなかったのか」ということを確かめるためだった。納得できたので、よしとしよう。


ザイルを持ち込んだが、これ以上は無理

 行き先を小佐波御前山登山に切り替える。芦生から登って今生津に降る周遊コース。久しぶりだ。


御前山から降ってきた北電の点検道合流点

山平(さんでら)はなだらかな所が多い


下から見上げる獅子ヶ鼻岩


手入れされた杉林


芦生と今生津の分岐点

以前はここに集落があった


小佐波御前山の広場に出る

 12時25分、シャリバテ気味に頂上に出る。誰もいない。小屋まで行くのも面倒で、広場のベンチでランチをとった。「一人だけ頂上」というのは自力だけでは出来ない偶然の贅沢。


誰もいない広場

中田知事の言葉が書いてある記念碑(昭和50年)

 13時35分、頂上を後にする。ただ降るのも面白くないので早足で降ってみた。雪が残っていたり、ぬかるんでいたりで思ったようにスピードが上がらなかった。リュックに積んでいたザイルやガチャ類も重かった。


旧山平集落の田用の貯水池(だと思う)

 山平(さんでら)集落は昭和30年〜40年頃に30戸の家があったとのこと。最後まで残った4戸も昭和43年に離村して集落は消えた。
 私が生まれ育った大津山も廃村となって久しい。300戸の家があり、千人もの人が済んでいたのに、もうその面影はない。離村、廃村と言う言葉を聞くたびに大津山のことを思い出す。


集落跡(使用目的は不明)

穴のあいた鍋が残っていた


山の別荘「久庵」

電気が来ていたらいいのに


芦生に到着(頂上から40分で降った)

 14時15分、今生津に降りた。県道を歩いて芦生に戻る。江戸さん宅に報告したかったが留守のようだった。

 「何故下から雨乞岩に行かなかったのか?」の探検はこれで終わり。唯一、ローソク岩からの直登コースのみが可能と分かった。面白かった。


今生津からのぞむ敗退した岩壁