六谷山と茂住谷



 

所在地富山市(旧大山町)、飛騨市(旧神岡町)
六谷山 アプローチ国道41号線茂住から長棟への林道をたどる
登山口標高1070m
標   高1397m
標高差単純327m 累計530m
沿面距離往復4.5Km(GPSデータより)
登山日2020年5月2日
天 候晴れ
同行者単独
コースタイム
 
茂住峠(45分)1365mピーク(30分)六谷山<休憩1時間15分>(5分)反射板<休憩5分>(5分)六谷山(25分)1365mピーク(20分)茂住峠
登り1時間15分+反射板往復10分+降り45分
歩行2時間10分+休憩1時間20分=合計3時間30分



山旅倶楽部五万図


山旅倶楽部一万二千図


カシバード


プロパティ


 近くにあって、誰もいない山は何処だろう? 小佐波御前山は近いが人気がある山なので密集している。おまけに小屋があって密閉、密接する。三密の宝庫。(小屋に入らなければいいだけだが...)


オフロード車で茂住峠へ

茂住峠が六谷山の登山口

 岐阜県境の六谷山は? 一等三角点があるのに、それほど人気がある山ではなさそうだ。三角点を追いかける人は少ないのかもしれない。私も追いかけていない。


10mほど北側に昔の茂住峠があり、石仏が祀られている

 途中にある茂住谷の石仏群も見てみたい。近くにある山なので、ゆっくり9時半ごろに家を出た。


1365mピークまで急登が続く

春を告げるタムシバ

 10時半ごろから1時間ほどかけて石仏群を見て回った。新しい発見もあった。(これは後述)


予想に反して雪道となった

 茂住峠までハスラーを乗り入れる。身支度を終えて11時50分、出発。登山口から5mほど登ったところに石仏が2体ある。
 林道が通るまではここが本来の茂住峠だった。石仏は薬師如来と地蔵菩薩だと思われる。(自信はない)


1365mピークから六谷山をのぞむ

 六谷山は1365mピークまで急登が続く。途中で一端ゆるむところがある。そこから雪道が現れ始めた。


60mのダウンアップを終えて六谷山頂上へ

六谷山は一等三角点がある山

 12時35分、1365mピークに出る。見晴らしはそれほどよくない。ここから六谷山まで60m降って90m登るアップダウンがある。
 13時5分、六谷山頂上。雪原に抜板(ヌキイタ)が立っているのが見えた。近づいてみたら三角点がある場所だった。掘り出して写真を撮った。


毛勝三山、大日連山、剱岳、別山、真砂岳、立山三山


立山三山、西笠山、鳶山、越中沢岳、薬師岳


北ノ股岳、黒部五郎岳、手前に横岳、


弓折岳、抜戸岳、笠ヶ岳

 頂上からは360度の展望が楽しめた。いつもと角度が違い、剱御前と鍬崎山が重なってみえる。鬼岳と獅子岳は西笠山に隠れて見えない。面白い。


反射板に向かう

結構大きい

 14時20分、反射板に向かう。ここにも軽いアップダウンがあった。5分で到着。周りはきれいに刈り開けてある。反射板は思ったより大きい。
 西側に見える山は同定が難しい。多分、漆山岳、白木峰、唐堀山、大燻R、最新山あたりだろうと思う。分からない。すぐに頂上に戻った。


今にも動き出しそうなオモチャのロボットのようだ

 14時35分、頂上を出発。90m降り、60m登り返す。15時ちょうど、1365mピーク。急登を小走りに降り、15時20分、茂住峠に戻る。


14時35分、頂上を後にする

このあたりのブナの木はいじけている(?)


六谷山を振り返る


茂住峠の薬師如来(?)

茂住峠の地蔵菩薩(?)

 エンジンをかけてみると、2目盛りあったはずの車の燃料目盛りが1になっている。燃料補給のランプも点滅してる。何故、駐車している間に燃料が減ったんだ?
 登りでは車が水平じゃなかったのでメーターが正確に働いていなかったようだ。
 峠からガソリンスタンド(大沢野)までの30Kmが本日の核心部となってしまった。
 


15時20分、茂住峠に戻る

 

この日のもう一つの探検

 私が中学校まで住んでいた「大津山」から徒歩で30分ほど降ったところに「茂住谷」という谷があった。
 その谷の庵に、1軒のほったて小山があった。電気も通じていないようなところに、おばあさんが1人住んでいた。小屋の周りに畑があったのを覚えている。
 小屋に近づくと怒鳴られるので誰も近づかなかった。「おこまばばあ」と呼ばれていて怖い存在だった。
 今、考えると何故怒鳴られたのか解らない。子供は皆、いたずらっ子に見えたのか? 1人でそんなところに住んでいるのだから変わり者だったのか?


以前から知っていた茂住谷の集落跡

 茂住谷に集落があったということは知っていた。だが正確な場所も規模も聞いていなかった。漠然と、「昔は人が住んでいたんだ」と言うことだけだった。ほとんど忘れかけていた。


その一角に墓と石仏が集められた場所がある

 2年前(2018年)、ここに石仏が集められた場所を見つけたとき、茂住谷に集落があったことを思いだした。

 石仏達はとりあえず集められたとしか思えない乱雑な配置だった。置き方も適当で規則性もない。中には大正十年と書かれた墓もあった。


最後に村を去る人が散在しないように

一カ所に集めたのだろう(勝手な想像)

 私見だが、最後に集落を離れた人が、散在していた石仏達を放っておけなかったのではないか? 一カ所に集めておけば訪れた人達に見てもらえる。山の中に埋もれてしまうこともない。と、考えて集めたのではないか?
 最後まで村を守った人が村を去るときの無念さと寂しさをこの石仏達が語っている。


これを見つけたのは2年前(2018年)だった

 今回発見したのは、そこから北側へ40mほど放れたところにあった石像だった。ここまで運んできたのだが力尽きてしまったのか? 


それから40mほど放れた北側で見つけた石仏

近くに台座らしきものもあった

 さらにその北側に涸れ沢があり、その片側(北側)に堤防のような石垣がある。高さは1m弱で長さは50mほどだろうか?


涸れ沢なのに石垣の堤防がある

高さは1mぐらいで長さは50mほど

 水が流れていないのに堤防? 暴れ川となることがある沢なのかもしれない。その堤防のさらに北側(外側?)に入ってみて驚いた。立派な石垣が残っていた。


堤防を越えていったところで数段の立派な石垣群を発見

 崩れていない、しっかりした石垣だ。廃墟という雰囲気はない。その上にも石垣があった。行ってみるとさらに上にも石垣がある。何段にも石垣が連なっている。


大きな石が使われている

横に長い石垣は田だったからか?

 一番上に道のようなものが見えた。左上がりになっているので茂住峠へ向かう道だと思われる。昔の、茂住から長棟への主街道だった可能性は高い。


小さな寒村だったとは思えないような立派な石垣

 漠然と「茂住谷」集落は茂住谷の畔にあったと思っていたが、実際は茂住谷から200m以上も放れた山の中腹にあったのだ。生活水も田の水も茂住谷からではなく、近くの沢から取っていたようだ。


崩れずに残っている

石垣の角もしっかりしている

 茂住谷のことを知りたくても隠れ里だったのか、文献にはほとんど載っていない。誰かに聞きたくても語り部はほとんど亡くなってしまった。
 せっかく集められた石仏達も歴史の中に埋もれていってしまいそうだ。


変則で二段に積み上げられた落差の大きな石垣