大津山



登山道もないピークに広場と看板がある「大津山」

所在地飛騨市神岡町 富山市(旧)大山町
大津山 アプローチ国道41号線茂住から長棟に入る
登山口標高1235m
標   高1357m
標 高 差単純122m
沿面距離往復2Km(GPSデータより)
登山日2022年11月9日
天 候
コースタイム 駐車場所(15分)林道終点(10分)池ノ山分岐(20分)大津山<刈開け30分>(15分)池ノ山分岐(10分)林道終点(10分)駐車場所
登り45分+降り35分=歩行1時間20分
歩行1時間20分+刈り開け30分=合計1時間50分



山旅倶楽部二万五千図


山旅倶楽部一万二千図


カシミール・カシバード(鳥瞰図)


カシミール・プロパティ


 大津山という町は昭和50年の夏に忽然と消えてしまった町である。7月まで、千人を越える人達が住んでいたのに9月には無人となってしまった。
 真夏の8月に、1ヶ月で奇跡のように消えてしまった大津山。私が生まれ育った町である。


茂住峠への林道に残る増谷鉱口の廃墟

 大津山に関する文献を調べていたら「大津山という地名はその上にある大津山という山の名前から取った」という文章に出会った。


大津山の山名が載っている地図

 国土地理院の地図に山名はなく、三角点さえもない。だが、昔は「大津山」という名前の山があったらしい。行くしかない。


林道分岐(右に行けば大津山、左に行けば長棟)

茂住峠(旧名は地蔵峠)のお地蔵さん2体


1人で見るにはもったいないような紅葉

 地図で調べると大津山集落から県境の稜線に出て南下したところに山と呼べそうなピークがあった。
 「大津山」と呼べそうなピークはこれしかない。標高は1357m。


気嵐は陸上でも発生する?

ヨモギに降りた霜

 前日までの雨で長棟のぬかるんだ道が心配だった。ハスラーを選んだが四駆じゃないので意外に弱い。スタックしたら茂住まで歩かないといけない。
 単独だとそんなことでもナーバスになる。

 国道41号線、茂住から林道に入り、途中の分岐で左側を選ぶ。右側に行くと大津山集落跡に出る。


ハスラーはこれより先には進めなかった

林道終点から階段を上る

 茂住峠(昔の名前は地蔵峠)の地蔵さんにあいさつして、長棟川まで降り、長棟集落跡を抜ける。
 清五郎谷の最後の急登はハスラーでは登れないので、途中で停めて林道終点まで歩いた。


2年前に刈開けた登山道(?)は残っていた

池ノ山分岐(県境)から右に折れる

 2年前に岩城と刈り開けた池ノ山への登山道は以外にしっかりと残っていた。稜線(県境)に出て右にコースを取る。(左に行けば池ノ山)


GPSで求めた大津山の山頂付近

このあたりを刈り開けて広場を作る

 藪を刈り開けながら進み始めたが藪が濃くなってくる。軽量化でガソリンを持ち込んでいない。ガス欠になったら頂上の広場を刈り開けられない。
 刈り開けをやめて藪漕ぎで頂上にむかった。登山道はガソリンが残ればやればいい。


出来上がった山頂広場と頂上の看板

 GPSも使い、一番標高の高そうな所を選んで木々の伐採を始める。10人ぐらい座れそうなくらいまで広げた。
 訪れる人もいないような山に隠れ家のような山頂広場が出来た。そんな山が、ひとつぐらいあっても面白いかもしれないと思った。登山道は開かない方がいいようだ。


「大津山」という名前の山を復活させた

池ノ山への分岐まで戻る


林道終点の広場 この奥が大津山の山頂

 清五郎谷の林道の終点まで戻る。食料を持ち込んだのに全部そのまま持ち帰ってしまった。

 林道終点の広場からのぞむ立山連峰。雪が積もった稜線の白と空の青とのコントラストがいい。


剱岳

薬師岳


北ノ俣岳

黒部五郎岳


槍ヶ岳、大喰岳、中岳

笠ヶ岳

 


ヒカゲノカズラ(Thanks Iwatsuki & Matsumoto)
子供の頃はキンギョグサとよんでいた(金魚鉢に入れていたから)

 車まで戻って昼食をとった。担いでいった7Kgのリュックはいったい何だったのか?
 バローの「マルタイラーメン」が意外に美味しい。物価高の中で税抜き98円。
 おにぎりは海苔が見つからなかったので、とろろ昆布をまぶした。これは富山オリジナルらしい。


車まで戻って

手製のとろろ昆布おにぎりとカップ麺でランチ

長棟集落跡

 大津山は水のないところだった。そのため、長棟川の水を飲料水や防火用水として使っていた。
 昭和10年に廃村となった長棟へ、その後も電気を送り続け、水をポンプアップしていた。
 大津山から長棟へ直線で2Kmのトンネルが貫通していて、電線も、送水管もその中を通っていた。


大津山の水源地だった水槽がまだ残っている

ポンプアップのための電気がここまで通っていた

 長棟集落の真ん中あたりの西側山中に観音堂があった。今はその場所は分からないが道路沿いに石仏が並んでいる。
 古い写真に載っていた石仏が何体も、なくなっているのが寂しい。


この上に長棟集落の観音堂があった

観音堂跡地の前に残された石仏達

 廃村となった集落に最後まで残るのが神社だ。長棟もその例にもれない。
 神社を覆う建物も壊れ始めている。神社本体はどうなっているのだろう?


長棟に唯一残った神社の狛犬

建立は江戸時代のようだ(後ろは神社)

 10月27日に長棟川に架かっていた倒木に板を打ち付けて歩きやすくしてきた。
 来年まで残っているかという不安があったがまだ大丈夫だった。


板を打ち付けてきた倒木はまだ健在だった

 その対岸は長棟集落の墓場になっていたところだ。倒れたままの石仏や土に埋もれかけた墓石もいたるところに散らばっている。


長棟集落の地蔵堂(?)

富山では珍しい(?)道祖神

 亀谷銀山にいた大山佐平治が加賀藩主「前田利常」に命じられて1626年に探し当てたのが長棟鉛山だった。
 1632年に没し、その約150年後の1787年に石碑が建立された。
 倒れてしまった石碑を建て直そうという計画が立ち上がってる。その第一弾が丸木橋の修復だった。


倒れた大山佐平治の碑を立て直す計画は来年に持ち越されたが可能か?


1787年に建立された大山佐平治の石碑
高さ190cm、幅120cm、厚さ30〜35cm

茂住谷集落跡

 茂住谷にも集落があった。今でも神社は残っている。屋敷跡なのか田の跡なのか分からないが石垣も沢山残っている。
 その一角に石仏群がある。数年前に偶然見つけたもの。明治10年と刻まれた墓石もある。


茂住谷集落の神社

誰かが清掃しているのか、中は意外にきれい


茂住谷集落の石仏群


ここもきれいにしてあげたい

明治10年の文字が消えずに残っている

 


ヤマドリのつがいが道路を横切った


キジと間違える人もいる

 茂住と大津山の間に鉱口があった。私が子供の頃、父はここから坑内に入っていた。
 月間のトンネル採掘距離で日本新記録を出したこともあるところである。


三井金属増谷鉱口(鉱石採掘の入口)に残った最後の砦

 


麓の方はまだ紅葉が残っている


緑が残っている紅葉もきれいだ