鎌倉街道]U


6月2日


今年(2023年)建てかえられる予定の薬師岳山頂祠


「KAKI」にて造られた薬師岳山頂の祠


特別に見学させていただいた

中は厳冬期の避難場所にもなっているとのこと

 東京から鎌倉街道の探索に砂防フロンティア整備推進機構理事長のK氏が来富された。平井さんからガイドを頼まれる。
 2日の予定が雨で順延。2日の晩は懇親会になった。元大山歴史民俗資料館長のM氏と立山砂防事務所長のI氏も参加。
 平井山荘の特別山菜料理と楽しい話に酒がすすみ過ぎてしまった。


平井山荘にて懇親会


平井山荘の特別山菜料理(全部山菜)



6月3日


雨の鎌倉街道を行く

所在地富山市大山町
水須から先 アプローチ小口川林道をたどる
登山口標高625m
標   高900m
標 高 差単純275m 累計630m
沿面距離往復4.6Km(GPSデータより)
登山日2023年6月3日
天 候雨のち晴
コースタイム 駐車場所【7:40】(40分)一ノ谷(35分)五瓶平(1時間15分)二の谷(1時間5分)最終到達点【11:15】
最終到達点<途中ランチ30分>(1時間)五瓶平(45分)駐車場所【13:30】
登り3時間35分+降り1時間45分=歩行5時間20分
歩行5時間20分+休憩30分=合計5時間50分



山旅倶楽部二万五千図


山旅倶楽部一万二千図


カシミール・カシバード(鳥瞰図)


カシミール・プロパティ


 古道としての鎌倉街道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、鎌倉時代の関東近郊の主要道の意として用いられている。
 1192年、源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、支配力強化のために鎌倉を中心に東国の各地域を結ぶ新たな道路整備に力を注ぎ、次々と放射状に延びる道路網が建設された。
 東国15カ国の御家人が番役として幕府に順番に奉仕したため、おおむねその範囲にわたる。
 それだけではなく、古代朝廷では十分支配が及ばなかった東北地方や蝦夷地まで交通圏が拡大したことや、西は越中、飛騨、信州から東国を経て鎌倉に向かう道筋が何本か明らかになっており、鎌倉街道あるいは鎌倉道と呼ばれる道はかなり広範囲に数多くあったとみられている。(ウィキペディア)


7時40分、旧水須集落近くに車を停めて鎌倉街道に入る

 


下草が濡れた山道を行く

シダがおおい繁った道


1回目はここまでだった(この先が分からなかった)


水須出身の瀬川さんの話で谷に降ることが分かった


五瓶平への道

雨が降ってきて雨具をまとう


最終到達点 ここから先は崩壊しているようだ


少し戻ってランチ


13時30分 駐車場所まで戻る


ウツギ?

ミヤマヨメナ?

ガクワラビ?