祖父岳竹原新道



 

所 在 地富山市八尾町
アプローチ八尾町から野積川の支流をたどって谷折へ
登山口標高560m
頂上標高832m
標 高 差単純272m 累計400m(GPSデータより)
沿面距離周遊3.0Km(GPSデータより)
登 山 日2026年8月13日
天   候曇り
コースタイム 谷折駐車場【10:55】(1時間10分)祖父岳頂上【12:05】<休憩55分>
祖父岳頂上【13:00】(35分)竹原新道分岐(40分)谷折駐車場【14:15】
登り1時間10分+降り1時間15分=歩行2時間25分
歩行2時間25分+休憩55分=合計3時間20分



カシミール五万図


カシミール二万五千図


カシミール・カシバード(鳥瞰図)


カシミール・プロパティ


 祖父岳の谷折側に新しい道をつけた。まだ道と言えるようなものではないが、なんとか歩ける。
 不備がないか、実際に歩いてみることにした。


川倉からのぞむ祖父岳

 文献には「祖父岳」は昔は「曽夫ヶ嶽」と綴られ、瓶を伏せたような形をしていたので「瓶山」(かめやま)とも呼ばれていた。とある。
 曽夫ヶ嶽には一眼双脚の妖怪が住んでおり、人の頭頂に穴をあけて脳をすう。という言い伝えがあり、昔から畏怖された山だったようだ。


県道228号縁を離れて谷折橋を渡る

祖父岳登山口の駐車場に車を停める

 谷折橋から先は、道路も駐車場もすべて竹原家のもの。感謝しながら使わせていただく。


登山口の看板 標高560m

謎のモニュメントには水場がある

 駐車場から取り付きまで100mほど平らな道が続く。取り付いて4回ほどジグを切ると尾根に出る。


斜面に取り付く

すぐに大きな岩に突き当たる

 尾根上にある大きな岩は尾根に沿って20mほど延びていて、上に赤松が直立している。
 この赤松は昔、竹原家に奉公した人達がお礼に植えていったもので牛ヶ首の5本松と呼ばれていた。
 (現存は1本のみ)


この岩は尾根に沿って20mほどある

岩の上にある赤松 昔は5本あった


赤松の岩から急登が始まる 

頂上まで460m ここは630m

 この岩から尾根に沿った直登になる。30度を超える急登である。途中、何ヶ所にもロープ(トラ縄)が這ってあって助かる。


ロープは何本も張られているが

少し古くなっている


この杉の大木から登山道はなだらかになる

 標高780mから登山道は一気になだらかになり、周りの景色も目に入るようになる。


頂上まで180m ここは780m

頂上まで70m ここは810m


頂上へあと一歩 

12児5分 祖父岳頂上へ出る

 そこから180mほどで頂上に出る。頂上には50人ぐらいは滞在できそうな広場はあるが平らな所は少ない。
 雑木林に囲まれて立山連峰は見えない。見えるのは富山平野の一部だけである。


祖父岳頂上の標識 奥へ進むと葛原登山道から桂原へ


富山平野と傾いた山名板

傾いたままもう10年以上経とうとしている

 以前は頂上から竹原家や駐車場が見えていた。独りのときは安心して裸でひなたぼっこをしていた。
 だが、今は駐車場が見えなくなった。おまけに桂原からの登山道も出来た。裸になるのは、リスクが大きすぎて、出来なくなった。


富山平野と手前のグリーンは八尾カントリークラブ

 三等三角点の点名が「東岳」なので、近くに(特に西側に)「西岳」という点名の三角点があるのか調べてみたが、見あたらなかった。


三等三角点 点名は「東岳」

 13時ちょうど、頂上を後にして、桂原登山道へ入る。(平成26年に開通)
 こちらも途中から急降となる。人工的な階段が造られていないのは、谷折登山道と同じだ。


桂原登山道へと入る

初めはなだらかに降る


頂上まで180m ここは780m

頂上まで380m ここは720m


大きな岩の横を抜ける

途中のピークにある礫岩の塔


振り返ってのぞむ祖父岳頂上


左が「桂原登山道」で右が「竹原新道」

 降りきったところから尾根を離れて左に曲がると「桂原登山道」である。刈り開けた尾根を真っ直ぐに行くのが「竹原新道」だ。
 (切り残った短い灌木が、まだ残っているので、歩く時は注意してください)


竹原新道に入ってすぐにある電柱

尾根沿いを行く竹原新道


迷うことはないが

まだまだ登山道とは言えない 


ここで登山道を離れて右の斜面(西側斜面)へと降る

 尾根沿いを150m程たどった後、右の杉林へと降っている。
 (ここも道の様に見えるが滑りやすいので注意しながら歩いてください)


登山道のように見えるが

歩きやすいとは言えない


杉林を抜け

 急降を終えて杉林を抜けると林道に出る。この林道は竹原さんが個人で造った私道である。感謝しながら使わせていただこう。


竹原さん個人所有の林道へと出る


栃の木の清水

今日は水量が多い

 林道の途中に清水がある。岩の下から流れ出ている。岩の上には栃の木があるのだが、枝が1回垂れてから上に延びている面白い形をしている。


草が少し伸びてきている


トンネルからの林道に合流する

舗装道路の林道

 トンネルからの工事用の林道が竹原さんの林道に合流している。トンネルを掘削するときに出た土砂を運ぶために造られた道路らしい。


竹原家が見えてくる


14時15分 駐車場に戻る


人はどうして山に登るのか?

 私は登山家でも何でもないが「どうして山に登るのか?」のようなことを考えることがある。
 山にのめり込んでいた訳でもなかったが、時々、ふと、そういうことが気になるときがあった。

 マロリーは「山がそこにあるから」と答えたそうだが、「どうして金を盗んだのか」に「金がそこにあったから」みたいな答え方で、気にとめたことはなかった。
 他の著名な登山家は、どう語っているのか?

 よじ登るという行為は、一つの本能である。子どもたちは、窓や、樹や、塀などをよじ登るのが大好きだ。よじ登る喜び、発見する喜び、さらに高い所から見る喜び、これこそ大人たちが『アルピニズム』と呼んでいるものではなかろうか。
 「氷・雪・岩」(ガストン・レビュファ)

 人生は、誕生と死の間に張られた弓のようものだ。その両方を知れば、人はたっぷりと準備して弓を弾ける。大切なのは、生涯にどれだけ自分を表現できるかだ。登山も、芸術作品のように自分自身を表現する方法なのだ。
 「生のとき・死のとき」(ラインホルト・メスナー)

 山は他人のために登るものではないのだと思う。誤解されても仕方がないけど、山は自分のために登るものだと思う。誰からも左右されない、自分の意志ひとつで行動できる単独行であれば、それが人のためでなく、自分のためであればあるだけ、全てが自分に返ってくる。喜びも、そして危険も。
 私は五大陸の最高峰へ登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、厳しい岩壁を登攀したから偉い、という考え方にはなれない。山登りを優劣で見てはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山が本当だと思う。
 「青春を山に賭けて」(植村直己)

 単独登攀は、自らの登攀能力の限界を追求して行く一つの方法であり、より高く、より困難を追求する一アルピニストとして当然行うべき方法の一つだと思っている。弱い人間が大きな岩壁に立ち向かったとき、それは『山との戦い』というより『自分との戦い』であり、自分の弱さとの戦いというべきではなかろうか。
 「岩壁よおはよう」(長谷川恒男)

 登山は、困難や肉体的苦痛を伴うが、それは自ら目標に向かって努力し,全力を発揮することによって大きな喜びに通ずる。安易な登り方には物足りなさが残る。
 「アルピニズムは終演した」(近藤和美)

 登山には人それぞれの個性があって良いと思う。登山とはかくあるべきだというのは、多分に独善となりがちだ。ただ、登山は権力でも下界的野心でもない。いわば個人の澄明な欲求であり、意志的行為であろう。
 「近代日本登山史」(安川茂雄)

 「どうして山に登るのか」と、まともに考えると、答えるのが難しくなるが、「どんな山行が好きなのか」なら答えられそうだ。
 ちょっと格好つけて、言わせてもらえれば「冒険と発見」を求めていくような山行が好きだ。
 雪山で自分の描いたルートをたどり、頂上を踏んだ時など最高の達成感を味わえる。
 植村直己さんの「どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山が本当だと思う」の一文が、心に響く。

 ちなみに、深田百名山を追いかけている人達とは人種が違うような気がするので、山の話は控えるようにしている。


谷折の住吉社

 帰りに竹原家の裏にある「住吉社」に寄った。応仁2年(1468年)歓請で現社は昭和6年に建てかえられたもの。
 竹原家が飛騨国武原村から移住してきた時に建立されたとのことである。


応仁2年(1468年)歓請の住吉社 現社は昭和6年建立

樹齢600年の富山市指定天然記念物「谷折の一位」

 「住吉社」は大阪市にある「住吉大社」の支社で、全国に2300社ほどある由緒正しい(?)神社である。
 祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命。彼らは海の守護神なのだが...建物も「住吉造」じゃなく「日吉造」で造られている。謎が多い。


「住吉造」じゃなく「日吉造」で造られている

7年間、消えることなく灯り続けている電灯

 住吉社の周りに一位、欅、椚、栂松などの神木があり、栃の木の古木もある。いずれも樹齢は600年ぐらいあるとのこと。一位の木は「富山市指定天然記念物」に指定されている。


樹齢600年とも言われる栃の木

栃の木が神社の屋根に食い込んでいる

 住吉社は現在、総代1名と氏子1名が兼務。つまり関係者が1人しかいないということ。屋根が壊れた時は大変だったとのことでした。


600年前は狛犬だったかもしれない

 鳥居と神社の間に立っている石像は狛犬だと思われるのだが、エイリアンのようで不気味だ。
 竹原さんに確かめてみたら「狛犬...だ」とのこと。確信して言っているようには見えなかった。


本日見たキノコ


直径17cmのタマゴダケ(超美味)


直径8cmのシワチャヤマイグチ(食毒不明)