大津山



唯一大津山に残ったシンボルのような防火壁

所在地岐阜県飛騨市神岡町
大津山 アプローチ国道41号線茂住から入る
登山口標高730m
標   高875m
標 高 差単純145m
沿面距離往復4.7Km(GPSデータより)
登山日2023年8月26日
天 候
コースタイム 駐車場所【9:50】(30分)大津山<探検他1時間15分>(30分)駐車場所【12:05】
登り30分+降り30分=歩行1時間
歩行1時間+探検他1時間15分=合計2時間15分



山旅倶楽部二万五千図


山旅倶楽部一万二千図


カシミール・カシバード(鳥瞰図)


 昔、大津山という三井金属の社員だけの集落があった。最盛期には1000人を越える人達が住んでいた。
 その大津山という名前の由来が分かった。古い地図にその名前の山が載っていたからだ。
 昨年、ここしかないと思われる山頂に広場を作り、山頂の標識を付けてきた。だが、登山道を付ける余裕が(燃料が)なかった。


2022年11月9日の記録←クリック↑


大津山の山名が載っている地図


茂住から大津山線に入るとき土砂崩れの看板を見逃す

増谷抗口跡(60年前に父が働いていた)

 大津山への登山道は池ノ山への登山道の途中(尾根に出たところ)で右に曲がればいい。
 距離もそれほどなく単独でもなんとかなりそうなので一人で向かった。


ここで左側に入り長棟へと向かう

500mほど入ったところでいきなりの通行止

 大津山線の入口にあるのはいつもの看板。と、思ったのが間違いだった。帰りに見たら「災害により六谷山登山口までいけません」と書いてあった。
 大津山線の崩壊は20mほどの高さから崩れているので今年はもう開通しないだろう。


20mほどの高さから崩れていた

戻って右の大津山へと向かった(車輌通行禁止)

 このまま戻る気にもなれず大津山集落跡を目指す。(大津山は私が中学を卒業するまで過ごした天空の街)
 持ヶ壁(モチガカベ)の分岐まで戻って右の大津山線に入る。分岐からすぐのとこに柵があって車は入れない。
 大津山集落跡まで標高差120mで距離1.5km。昔はバスが走っていた道路を歩く。


水平道になる 昔はここにトロッコが走っていた

このトンネルが魔界(廃村跡)への入口か?

 途中に残っているスノーシェッドが怖かった。ここを入ると戻れなくなってしまう「千と千尋の神隠し」みたいな世界へのトンネルに見えた。

 このトンネルの先にあった大津山には、1000人以上の人達が住んでいた。それが昭和50年夏、忽然と消えてしまったのだ。その怨念が未だに漂っているような雰囲気があった。


昭和30年代頃の大津山は陸の軍艦島のような街だった(一番上に見えるのが学校)


突然現れる広場 昔はバスターミナルだったところ

 水平道の先に突然現れるのが大津山の中心部だったところ。バスターミナルがあり、その先にショッピングセンター(購買部と呼ばれていた)や事務所、病院、消防などがあり、その上側には学校が建っていた。


今も唯一残っている建物

建物の中は空き瓶や空き缶でいっぱい


バス停から学校への坂道

大津山小中学校の正面玄関だったところ

 坂道を上り学校があったところへ向かった。残っていたのは正面玄関の階段のコンクリートの一部だけだった。
 最盛期には生徒だけで250人ぐらいいた大津山小中学校。(小学校と中学校がいっしょになっていて、体育館や給食施設、音楽室などは共用)


雪の重さで崩壊した体育館(坂下明さんの「消えた風景」より)


学校の横にあった「鉱山神社」の鳥居

「鉱山神社」と刻まれた石柱

 体育館の横に神社があった。クリスマスの夜に恋に破れた男がダイナマイトを抱えて自殺したというところ。「肉片や骨があちこちに飛び散っていた」という話を聞いて子供心にも怖かった場所だ。

 鳥居の上部がかすかに見えていた。その奥、少し上の方に神社らしいものが見えた。
 藪を漕いで行ってみたが中は空っぽだった。廃村と同時に遷宮したのかもしれない。(何処へ?)


奥にある壊れかけた建物が神社

そこまで藪を漕いで登ってみた


中は空っぽだった

ご神体は廃村と同時に遷宮されたらしい


さらに先にあったグランドに向かう ここは「もののけ姫」の世界か?


昔は広く感じたグランドだったが...


NTTのアンテナへと続く道路

アンテナは撤去されたが電柱は残されたまま

 戻って、バス停の下にある防火壁を見に行く。以前はバス停から見えたのだが、草に覆われて見えなくなっていた。
 この防火壁は、ここに大津山という街があったということを示すシンボルになってしまった。大津山を覚えている人達が生きている間は倒れないで残って欲しい。


未だに倒れずに残っているアパート(独身寮)の防火壁


建物(独身寮)があった頃の防火壁の写真

 人が住まなくなってからも建っていた100棟近く、300軒以上あった建物が、ある年の冬の火事でほとんどが焼けてしまった。
 出火場所が複数あったこと、真冬だったことなどから誰かが故意に火を付けたのだと思われた。防火壁だけが残った、悲しい出来事だった。


もうひとつ残っている防火壁は木に埋もれていく

ここに住んでいた人達の声が聞こえてきそうな気がした


後ずさりしたくなるほどの不気味さが漂っていた

 来るときにも嫌な感じがしたトンネルだったが帰るときにはさらに不気味な雰囲気が漂っていた。
 早くこのトンネルを抜けないと現実の世界に戻れなくなってしまうような恐怖感を感じさせた。


12時5分、車に戻る そこにあったのはいつも通りの暑い夏の昼下がりだけだった

 大津山から持ヶ壁までの間に沢が四つあった。その全てがこの夏の日照りで水流がなくなっていた。
 子供の頃によく捕りに行ったサワガニやサンショウウオはどうしているのだろう?


大津山線の入口にあった災害の看板